ハンブルグのフラットより広いデっセルドルフで又絵を描き始めよう。
何やら、、、スッキリとした気持ちがムクムクと湧きあがった。
ハンブルグのフラットより広いデっセルドルフで又絵を描き始めよう。
何やら、、、スッキリとした気持ちがムクムクと湧きあがった。
久し振り、、、と言う程でもないが、、、、
昨日、近くに住む娘が訪ねてきた、考て見れば、、、今考えみれば珍しい事だった。
何かを求めていたのか、、、、、何か訳の理解できない事をテ・ブルの上で始め出し
その後帰っていった。
3日前に日本から息子が来訪した。
アッと言う間に時は過ぎ、、、、一回り大きくなった私の生活空間の中で一抹の言われのない心の動揺の動きを感じる。
久し振り又メールでも書こうか。。。などと。。。カレンダーを見れば、3月しかも 13日。。。。。。いつもの事ながら、、、オドロク
ここハンブルグへ引越しをして、もう3年は過ぎている。。。。。。その間、空巣に入られた事が大きなショックであった。着物が盗まれ、私自身の一部がどこかへ消えてなくなった様な、そんな気持ちから抜ききれずにいる。
楽しみにしていたモニカとの再会は 楽しみ ではなくなり、落胆とある悲しさの淵に変わり、、、私の心の中である思い出として、、、ある悲しい思い出として時々揺らめいている。。。。。。そしてハンブルグは今、現在、私に取り以前の様な光、魅力を失い平凡な都市となり生き続ける。。。。。。
思う事は、デっセルドルフの我家に戻り、ライン川、毎朝のライン川沿いの散歩、、朝食前の散歩そして、その後の紅茶の美味しい香りと味。
ご飯が美味しく炊けた今日の夕飯、、、久し振りに美味しく炊こう、、、と思って炊いたご飯、、、、、、お米自体が美味しかったせいか、、、それにしても、、、最近のお米は糠くさくない、、、子供の頃を思い出した、、、近くにお米屋さんがありお米を持って行くと精米してくれた。。。。大きな精米機があり、そこに米をいれると、最後にきれいに精米された、、、イワユルお米が出て来る。
私の子供の頃、父が親から受けついた農地があり、知り合いの農家の人に米の生産を任せた、、、、秋になりお米が届けけられ、その米の俵の上で遊んだ事を今でもアリアリと覚えている。母はそのお米を近くのお米屋さんに持って行き精米を頼んだ。その精米中の騒音がひどかった事、、、耳をつんざく様な騒音がそこら中に響きわたる、、、と言うか辺り一面に覆いかぶさって、逃げださずにはいられない程だった。。。。その後、そんな機械はなくなって、、、その騒音も聞かなくなった。…。。遠いとおい、そして、もう意識の中から、その騒音は消え失せた、、、農地解放、、、とか言った歴史の一齣が回っている一場面であったのだろう。。。。。母が時々、、農地解放で土地を とらてしまった。。。。。から。。。。。。。と言う愚痴でもない、、、かと言って憤りでもない、、、諦め、、、でもない、、、、そんな事を言っていた事を思い出した。
父は長男ではなかったのでそれ程広い農地を所有していた訳ではなかったが、解放された、、、つまり解り易くいえば、無くなってまった事に憤り、多少の金銭的な補助の様なものがあったらしいが、怒った父は、その補助金を受け取らなかった、母が言うのには、市役所から再三受け取りに来るよう、、、という通知を受けたがっ頑固に受け取りに行かなかったので、その後、市役所も通知を出す事を諦めた、、、と母が私達にはなした、
家にその収穫さえたお米の俵が山の様に積んであった、その俵の山で遊んだ事を今でもアリアリと覚えている。。。。。。。今は昔、農地解放のエピソ ド・・・・・
今は、そのお米の味も覚えていない。。。。。遠いとおい昔の、、、、、お話、、をフト思い出した
深い しんみり、、、とした 夕方、何やら やみ が物語っている様な、話しかけて来る様な、、、ある生きた、そんな暗さが語りかけて来る様な、、、闇の中の夕方、、、やっと終わりかけた一日が独り言をつぶやいて、、、その闇の進む足音が空気中に静かにしずかに、、、そおっ。。。。と、、、、つたわる,,,
生き物の様な息使いが伝わって私を心地よく、、、つつむ
美しい夕方、冬の夕方、思い、、、幾たびの冬の通り過ぎた思い出が私を つつみ 込む。。。。。
あれから、、、2日目、、、不思議な国の唖梨簾からの断片的な手記
何故かと言えば、、、ハッキリとは意識がそろっていないので、、、何と言うか、、、
意識的、、自発的な意識ではなく、、、何か、、、操作されている意識とでも形容できる様な、、、解るかナ・・・・或いは、もっとドラステイシユ、、に 強制的 とでも言ったらピッタシ、、、な。。。。。
それは、今に至って既にハッキリとは意識の範疇の中には留まるってはいない、我が家に勇ましく行進するがの如くに入り込んできた。。。。そして何やら命令口調で、、、まるで、、、映画でみたナチ親衛隊の如くに、、、と言うよりは、、、それ以上に勇ましく 鳴り物付き とでも形容できる勇ましさで突進してきた。
、、、、、、、てからみ09872・?、、、くらいと思われる、、、、、
不思議な国のアリスちゃんのお話は興味深い。。。そんな国を彷徨ってみたい、、、それにしても、、、あのナチ親衛隊口調はどこで学習したのか、、、興味深い事、底なし沼の如し、、、、、、じゃじゃあああああああん 天才はなんでもデキルンデスネ
21時37分
冬、特に最近はアッと 言わない 間に暗くなる、、、夜の とばり が、ハイ、今日はこれでおしまい、、、とガラガラとしっかり戸を閉め切ってしまう。。。。。。。。それで、夜のとばり、、、と言われるのか、、、否や、、は知らないが、、、マア、そお言う事にしておいて、、、久し振りに又 書き始める。外はしっかり暗く、その暗さが押し寄せて来て、こうして家の中にしっかりと暖かい所で落ち着かないと安心できない。 そしてこんな暖かさに恵まれた事を有難く思う。
昔、子供の頃の冬を思い出す、、、当時は暖房と言えば炬燵だったその昔、昔のお話。 そして、、、石油ストーヴ、、、最初のストーヴは石油臭かった事を今でも覚えている、その匂いが未だ鼻先に残っいる様な気がする。その石油ストーヴも徐々に便利になり、匂いもそれ程きつくなくなり、、、そして暖房装置も年々と現代的になり、、、2023年に至っている、私はドイツへ早い時期に出て来て1966年初めてドイツの家じゅうを暖房してしまう、その考え方とその暖かさに驚いた。。。。。。。。。。。。。。。。。。現代では日本でも当たり前の事であるけれど。
やはり一番、強烈な思い出は暖房の 暖かさ だった。 それは現代では日本では当たり前の事になっては、いるが。
冬、一番幸せダナーと感じる時は、暖かい部屋で読書、団欒、、、、そして食事、、、鍋物などを楽しむ時、、、でも鍋物は,やはり日本で炬燵に当たりながらが一番美味しい。
見守っている。 こんな不条理な話があって良いものかと、常に憤りを覚える、
いつも思う事は、世界的な法を順守し管理する機関は、ないのだろうか。
平和になったら、一度ウクライナを訪問してみたい。