テレビとラジオの物語にまつわる、世界の不思議の数の変化

もう大分前から私はラジオの生活をしている。

或る時ドイツ人が何かの機会に、、、私をインタヴ―、、、等と言うと大袈裟になるので、、他に言いようがないかと暫し考えたが、時間の無駄と判断し、それ以上考える事を止めて、兎に角、話を元に戻せば、、、そのインタビューの使命を果たすべく我が家にやって来たうら若き女性が開口一番、、、正しくは、、、開口3番、4番め、、、くらいに、驚いたーーーと、いった風に。。。。。。。ツイ、言ってしまった、、、というニュアンス、、、それ位驚いたという事だったのだろうか、、、そのうら若きドイツ人の女性は、まるであり得ない事を経験したといった風に、

@貴女はテレビを持っていないのか@                       

。。。で私は言ったものだ。                                                                   @そうヨ、デモ、この家には、ラジオが2台あるのヨ、、、台所と寝室に@

彼女はまるで世界の7不思議プラス1、今や世界には8番目の不思議が存在する、、、と確信したような面もちだった。。。。。。。。。。。。。。

ラジオを聴く事は私の楽しみの一つになっている。

朝一番ラジオを付け、まずは、ニュースを聞く。                  最初は中々聞き取れなかったが、私なりの方法で、マア、マアまあまあ理解できる様になった。。。。。。                               

そうなるとイヤに、  いい気になり  又得意になり、、、調子が付き新聞を買ってきて、比べたり、ドイツ人に質問したり、、、ラジオを聞いて理解できる事が得意になり、楽しくなった。

今朝の、いわれのない危惧と恐れ

。。。。。それは、アッケらかんと晴れ渡り、太陽の光線は、すでにある予感、、、不安というかそれを通り越し、そぞろ恐怖のヴぇールを広げ私の脳裏を覆いかぶさるように襲った。。。。。。

子供の頃、日本で体験した夏の、、、まだクーラー等、という文明の利器が一般家庭に当たり前ではなかった時代の、、、やりきれない暑さと、プラス湿度の日本の夏、、、が突如として、遠い昔のびっくり箱からロケットの様に現れる人形、、、あの素っ頓狂な原色のふざけお面を思い出させた。。。。。

最近のヨーロッパの気候は、私が以前滞在したウン十拾じゅう数年前を思い出すと、これが、北欧の始まり辺りの気候なのかと考え込んでしまう程変化、、激変した。

只、救われる事はその不安の深さ、不快さの危惧はケロッと変化する、、、移り気な天候、は、元の快適な自然環境にサッサと戻る。

デテコイ、でてこい出て来い、オハナシでてこい。。。。。

次につづくはずのの歌詞は記憶の彼方に、この異常なるムワーあとする不健康な温かい空気の中でウンザリとしぼんであとかたもなく、私の記憶から力なく消滅していった。。。

次男がまだ幼稚園生或いはそれ以前の頃、バイリンガル、、、なんて書くと聞こえが良いが、、、マアそんな親心であの手この手を駆使して、日本語の環境を日常の中で自然に親しむよう、私なりにある時はカッカしてある時は意気消沈し そして時により 元気溌剌野心に燃え! 日本語を、、、言ってみれば余り積極的でない息子に勉強サセタ。。。

一番効果を発揮した方法はテレビ、ビデオだった、日本のおとぎ話だった。      

日本のテレビの子供番組はとても良いアニメが溢れていたので、現在もそうだと確信している、息子と一緒によく見た。その中で今でも覚えている番組は、アンパンマンだった。。。。。   息子同様に私も好きだった。                                                          中には、その他の息子が好んで見た番組に、こんな攻撃的残酷な話、場面を幼児、子供に見せても良いものかと疑い、心配になる事もあった、、、、もう少し考えて欲しいものだとつくづく思い心配もした。                           

それで何かの昔話番組の主題歌で、、、出て来い出て来い、出て来いお話出て来い、、、、という歌があった、、、今はそれ以上は覚えていないが、私は今でも探し物をする時に、、、この歌詞を歌いながら探すので、我ながら可笑しく、又懐かしく当時を思い出す。。。。。。最近は加齢のお供、、、現象で、この歌詞のお世話になる事が多い。

ある時、息子は心の底から、つくづくと、しみじみと私に述懐した。。。。。お母さん、僕、日本語ができてよかったーーーーーーーーー私は、どんなに嬉しかった事か。   殆んどの人は両親のいずれかが日本人であれば、何の疑い躊躇なく、         

@それでは、アナタは日本語できる@      と確信し思い込んでいる。     

それで出来ません、、、となると、どういう訳が価値が半減してしまう。

日本を離れ外国で暮らしている子共達、とゆう状況を多くの人、日本人は、自動的に日本語を理解し話す事が出来、というよりは   !日本語喋れて、書けて当たり前、、、!と思い込んでいるが、その、ご期待にそえる様になるには、親子共々大変な努力が必要だという事は、全く考慮に入れない。

日本のアニメは質が良くきめ細かく、色彩も繊細で構図も抜群で世界に誇れるものと確信し、誇りに思っている。。。。。。一つの芸術作品だと思っている。         唯、時々話、場面が残酷、攻撃的すぎる事があるのは残念と思う。                         

垣もとに植えし はじかみ口ひひく

ひょんな偶然から、古事記の中にあるという この和歌 に接した。。。ひょんと言うか、生姜は漢字でどう書くんだったけ、、、と辞書を見てみれば、、、生姜はその昔には、つまり、古事記の時代には、 はじかみ と言われていた、、、そして、上の和歌、古事記の時代の私のように生姜、、、はじかみ。。。が好きな人が作った和歌、、、、と出てきた、、、、それ以来、生姜の味わいが一層深みを増した。                       

何だかその古事記の時代の人、、、この和歌を作った人と、とても親しくなった様な、食事をしながら、何となく気心が通じ合い、心温まる食事を楽しむ様である。

最近は漢字なども普段使わない字は、朧月夜現象 になり、せっせと辞書を引く。   

電子辞書はそんな時とっても便利、その上色々な説明が出ているので、つい時を忘れて本題からそれてしまうが、興味深い無駄でない時を過ごす。                                                      口ひひく・・・・・ ひひく はピリッとする事だそうです。                                   

、、、時々その電子辞書をどこに置いたかわからなくなり、まるで我が子が迷子になったかの様に慌てふためいて探す時の様相は我ながら可笑しいと反省する。。。。。。。。が

マア、これも何とか現象か、、、と最近は落ち込む事もなく落ち着いて探しまわる。  イワユル、カレイ二ヨル ボケゲン  自然の摂理、、、とは言ってはみるが、やはり多少努力、、、も、、、しましょう、、、と生活改善などど叱咤激励らしき、、、事も心がけている

koharubiyori小春日和の平和な幸せ,,…………そうな空気に包まれた、、、そんな日

今日は、現実とはかけ離れた地上の楽天、非現実のような現実の幸せそうな午後、大分遠ざかっていた、現実的な問題、、、つまり。。。。。銀行の明細書、、、などを引き出しに出かけた。

プラス、マイナスの相関関係は如何にと、既に ふてっくされて そのわりには、恐る恐る引き出してみれば、あにはからんや 驚く事にそう重症ではない、私の経済状況の赤裸々な状態が、和子さ―アん、、、そう悪くはないから安心シナサイネと慰めて下さった。。。。。。。。

それで、いつものように楽天的な私は一挙に幸せの極地へと突進・・・

これだからアナタは、常に前進の努力が足りないのだ、、、いつもの様に、、、、反省、詳しくは、反省らしき、、、状態にうつろうが、。。。。何かが伴わない、、、じゅうねんいちじつ、、、、、    そして、地球はまわり、まわる

兎に角、私も呼吸し、そうして、まわっているようだ。。。。。。。。。。

taisetuna   つまり、明日という大切な日が今日になり恙なく、、、シルクロードに

、、、、、つつがなく、美味しい朝の紅茶を楽しむ。。。の朝

私の朝は、かれこれ、、、ウン十年前から紅茶で始まっている。。。。。。。。   

。。。。。。考えてみれば、考えなくとも、、、、、わからない位、全く自然に当然の如く機械的にと言うよりは、無意識の朝の義務かの如くに知らず知らずの内に、まるで夢遊病者の様に気がつけば、湯沸かしに、、、水をいれスイッチを OÑ にし、紅茶の葉を急須に入れ、、、、、、そうして美味しい紅茶ができあがっている。

ここで、大切なのは、急須 つまり、日本茶用の急須は紅茶の葉より大切な主人公になっている。。。。。。つまり、最大限二人でt紅茶を堪能する場合。

お茶は、私にとっては、淹れ方が第一に大切で次に葉。。。。。となっている、、、私の茶にまつわる見解から。。。。。。。馬子にも衣裳。。。。。チョッとチグハグというか当たらずとも遠からず、、、と言ったズレた感覚がそぞろ何処からか滲み出てくるけれど、マア、故郷を離れて、ナン十ウン年、、、それに何千里と、、、となれば当然の当たり前、、、と開き直っても誰からも 憐憫の眼差しで 非難される事もすくないのではないのかと、、、それに非難なんていう偏見は私にとって、殊の外興味深い事なので、かえって生活を楽しくする現象になっている、、、これもウン十うんじゅう年の様々な風雪に晒された健気な健康法、、、兎に角本題に帰り、、、、、、、、、、、、、、、        

大切なのは高価な葉が重要なのではなく、茶と湯の量と温度それに蒸らす時間 でこれも好みの問題で千差万別、、、つまり、個人的な事なので、自己で体験、開発し見出すより道は開かれていないといった、、、誠に険しい道のり、、、と私の実感。。。。。。。。

結果として、個人の個人たる価値、この世で一人しかない、個人の存在を信じ 自分自身を持つ事以外ないという、、、、、という事に落ち着く。

私はそういった観点から、穏やかに、私の世界観で、私の日本人そしてアジア人という世界観で生き、今も生きている。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

エジプトから中東を経てインドの雪を頂く険しい道のりを経、中国で暫し遊泳したシルクロード、仏教の教えと共に、そのシルクロードの最終地点で、どうゆう事か日本人として生を受けた、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、