優雅な扉、、、爛熟した文化への、、、いざない

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私の住んでいる近くに運河があり、アルスター湖まで達している。

もちろん運河には幾つかの橋が架かっている。

運河のこちら側からAltBau アルトバオ、 1800年代に建てられた家々が始まり、その華麗なユーゲントシュティール (アールヌーボー)様式の街並みは、運河を渡り、向かい側に続いている。。。。。。その時代の人々の生活の華やかさ豊かさが優雅な花束の様な悠艶とした魅力をたたえた建造物が立ち並ぶ。

その限りを知らない機知に富んだ家々のファッサーデ(建造物正面)の装飾、意匠、、、次から次へと個性を競い合い、果てることなく立ち並ぶ自由奔放な豪華さ、繊細さ、意外性、何か設計者の真摯な心、時代の躍動感、創造の喜びが伝わってくるようだ。

北欧の冬の事とて太陽の光線は、弱弱しくかすみ、すでに薄暗くなり始めた街並みに咲き乱れた19世紀の面影を彷彿とさせる家並みは、濃い霧にすっぽりと包まれ灰色に染めだされる。

。。。。。。。。。。。。。。。。。囚われ人は、さまよい彷徨つつ家路を辿った

雪がチラつく朝に、、、、、トレトレの雪と私の初めての外国

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最近は、以前のように、、、私の第一回のハンブルグ滞在時、つまりウン十十。。。数年程前、、、雪が降らないし、降っても大雪になる事は殆んどない。。。。。。降ったとしても積もるような大雪にはならない。

当時の冬も、しょっちゅう 雪が降ったわけではないが、2020年の現在と比較すれば、遠く過ぎ去ったおとぎ話の風景を彷彿とさせるような雪景色だった。。。思い出の相乗効果がその上相乗しているダブル相乗、典型的な感傷思い出タイプ。。。なのか。

この写真は私の住んでいるフラット、日本で言ったら4階から今朝撮ったもの。

22世紀まで生き延びた、、、太平洋戦争時の敵機襲撃警報サイレンを微かに覚えている時代の貴いかどうかは分らないが、兎に角、曲がりながらも戦争の思い出が隅っこに忘れられず残っている人の一人。。。。。トレトレの思い出、、、この言葉の使い方は正しいのか、ないのか全く自信なし。。。。。

ハンブルグは、南ドイツ、ミュンヒェン、ましてやスイスの様に大雪が降る地域ではなく、その上、地球温暖化のせいか降雪量も驚く程少なくなり、そのウン十十数年前がとても懐かしく思い出される。

一度、当時としても珍しい程に大雪に見舞われた年があった。             人々は、こぞって、水を得た魚、ではないが。。。。。深雪を得た北欧人。。。。。祖先の血が騒ぐ、、、、とでも表現したいほどウキウキとしてフワッとした銀世界の散歩を楽しむ人々の風景が忘れられない。

2020年2月22日、朝の雪は、残念ながら、地球温暖化モロ受け雪景色を それでも、健気に、、、、、お披露し呆気なく、まるで消え入るよう昇天した。

トレトレは漢字で書くと 取れ取れ  なのだろうか。。。関西弁。         私はウント若い時、数年関西に住んだ経験がありその時、初めて経験した言葉、、、何か臨場感が籠っていて、絵画的で関西弁の真骨頂の代表的な言葉。。。だった。。。。。

魚屋さん、八百屋さんのオジサン、オバサン達の使い方には、当たり前の事ながら、生活感があった。 。。。。。魚を手に取り、、、奥さん、取れ取ヤデ。。。なんて言われると、まるで魚が生き返る、、、ヨオ、、、だった。

私が産まれて初めて、関西で日常生活を始めた頃は、正に私は 外国人 であった。

私のドイツ生活より以前の 外国生活 であった、、、カルチャーショックであった、、、関西は、私の初めての 外国 であった。

!注!                                     < トレトレ の雪は > 私が勝手に使用範囲を拡張したもので正しい使い方ではありません。。。。。と思うノデ、、、、、、従って使用者の責任の範囲内でお使い下さい。。。。。

 

ワインの広告とスタンダールの赤と黒

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どういう訳か、、、KEIN BOCK カイン ボック、、、、、   UNSARIうんざりして、体力もうんざりして気力が底の底に鉛の様に深い気力の深淵に無感覚で横たわっている、、、おと姫様の宮殿に行きそこね彷徨って迷子になったよう、、何も考えたくない、どころか、、、考えられない、、、考えたくない、朦朧として、そうしている事が何か困った事なのか、そうでないのか どっちでも良く、只単に何もしたくない事がとても重たく感じられ、それでいて、私の 迷路のどこか で心地よい。。。。

娘が最近、スタンダールの 赤と黒 ドイツ語訳 を持ってきたので、読みはじめ4日程で読み終わり、、、その後、何か、その世界にさまよっているような、囚われている様な環境からようやく抜け出かけているといった現在。。。。。。。それで、、、まだ残っていた赤ワインを飲むことにした。。。。。。。。。。。

そして1800年代のジュリアンの世界から2020年へ。。。。。

疲労感と共に、、、、、、現実に、現代へ戻った

22ji 22時26分 あっけなく、、、、、あの、のどかさ、かっての長閑さはどこに

、、、、、、、、、、なかなか眠りに入れず、そのうちに空腹も自己主張を始め, 冷蔵庫の中から兎に角、夜中、、、つまり、夜食に適している胃に優しい残り物を選び出す。。。。。。

こういう事は健康に非常に害ををなす、、、、、等ナドの、、、週刊紙、新聞、ラジオなどで全世界に於いて目にする専門家、医者などの至る所でお目にかかり、今やまるで、神聖な信仰宗教となり頭の後ろに強力接着剤で ピッタリ、ぴったし と、くっ付いている、、、、を思い出すが、快い空腹感には抵抗できず、三大快楽の一つ 食欲という快楽に あっ気なく 、

二千二十二年 二月十八日未明 降伏す・・・・・いつもの様に

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それで、私は翌日、、、近くの教会へ行こうかな・・・・・・と思ったが、最近の教会は、、、、と言うより大分前から週末以外は午後の何時間かを除いて鍵がかかっているので入れない、、、、、理由は盗難だそうだ、、、かってのあの平和で安全なドイツは、(第一回ドイツ滞在 1966年-1971年 )何という世相になったかと現代というこの環境の変化、激変に恐ろしくなり、不安に襲われる。

ことわって、おくが、私は仏教徒、、、だが、宗教には境界線などある筈はないと勝手に独断し、何か願いたい事があれば、教会へ行って神様、、仏様、、にお願いする。。。。。。。それで、全く勝手な理由になってしまうが、宗教は、                                                                     in Gründe genommen  alle gleich   基本的には、みな同じ  、、、、

出生から海外へ出かける前までの環境は仏教,それに神、、、神社の神教であった私にとり意識せずに仏教と神様の考え方、物の見方の中に確実にある、それは外に出て初めて、外国という異質の中で反対に自分自身がその異質という事を眺める鏡になる。

 

 

i、、、、、いくら何でも。。。と、後ろめたい何かに叱咤され、既に

午後5時にはすっかり暗くなっている冬の夜の始まりに、外気を、、、まるで酸欠になった金魚みたいに、、、求めて散歩に出かけた。

雨が降っているのか、いないのか、、、降っていると思えばその様な、そう思ってしまうと、、、何だ、降ってなんていないじゃないの、、、と、ハッキリしない事に多少文句を言いたくなり、、、、、湿った何とも心地よい透き通った濃い灰色の世界にすっぽりと包まれ、、大きな木、、、私の、、バオバブの木の下のベンチに暫し留まり雨の匂いと しっとりとした空気に包まれる

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haru春の嵐

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DSC_8702朝から、、、、、と言っても、、、=私の あさ= なので、グリニッチの定めた朝の範疇がら大分 ズレる 。。。。。。。。なのだけれど、、

、、、、、、兎に角、理解し易く 朝から。。。。私個人の朝の範疇から、、、、荒れた、怒りに狂った、、、たけりくるった、、、漢字で書けば 猛り狂った、、、そうだが、、、兎に角、そう漢字が如実に示すように、目まぐるしい程の空模様の激しい様相と変化に私は、古代人の様に、おののき、恐れをなし暫し驚嘆し、自然の変化の中で、私もその自然の一部なんだーーーーと叩きつける雨風に、、、詳しくは、こんな風に、、、、、メチャメチャ、滅茶苦茶、目茶苦茶 めちゃくちゃ滅茶苦茶音,,,,。。。、、、、、、、私の知能指数の努力の限界と己を知り、あっさりとあきらめて先に進み話を元に戻し、、、DSC_8155思ったことは、、、、、、、自然とはなんと美しいのだろう。。。。。。。。。。

 

 

後遺症、、、眠れすぎた夜の物語、或いは戯言・・・モーツアルト、、、FMラジオを聴きながら。。。。ながら後遺症

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習慣、、、、、時々習慣的、、、或いはそんな事とは全く関係なく、ただ単に充分、、、つまり過飽和状態の睡眠時間があふれ出し、理科の実験の絵の様に、私の頭の中の試験管からあふれ出した充分すぎた睡眠時間がさ迷っている様な、、、、状態・・・・・・そんな気持ちの朝、、、とっても冴えない朝。。。。。。。。。それでこれは、自然療法が一番とハタと目覚め、散歩へと、、、、、御簾をあげて、、、外に目移せば、何と、当たり前の事ながら、清少納言の様に外は雪景色、、、ではなく典型的なハンブルグの気候、、、つまり北欧の冬景色、しかも典型の典型の雛形の様な・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

にも拘らず、意思の強さをイヤに強調し鼓舞し出かける気に、自己欺瞞が勝利の後、温かいコート、分厚い内側毛皮付きブーツ、手袋、、、等ナドと防寒武装を調え、その上あつーい、あツーい、アツーいお茶と腹が減っては、、、とばかりに去年の残りのパネトーネをホウバリ内からも温め腹ごしらえ後 徐に、おもむろに 北欧の厳しい冬景色の中に溶け込んで行く、、、、、、

、ここら辺でミステリーだったら主人公がどこかえ消えてしまう。。。。。。。。のだがさて現実は如何に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・yo世の中夜中にざんざん雨降りサンさんざれごと戯言赤ワイン

地球温暖化 2月の夜中に眠れぬ美女、、、か普女かは好みの問題で、、、兎に角、、、眠れぬ夜の蚊談義

 

 

DSC_9041ナゼ、、、眠れぬ美女、、、眠れぬ普女ー普通の女、、、この場合どっちでもそう決定的な紺題ではく・・・蚊に刺された事が重大問題。

兎に角、真夜中、草木も眠る丑三つ時  に蚊に刺され、またその痒さといったらシツコイ痒さ。。。。。。。。。。。。。。。

うん十年前に、私はやはりドイツ、ハンブルグに5年程滞在したが、当時は殆んど刺されて痒い、、、そういった蚊の様なものはいなかった。。。。ましてや2月という冬に。                                               1965—1971 年頃は、たまに空中を飛んでいるというかフワフワっと弱弱しげにさ迷っている 蚊なのかなー と思えるような、、でも刺す勇気も力もないといった、蚊と言えば蚊といえる、そして蚊に見える蚊の様なものがいた。。。。8月のごく短い間に。

そして今日、その蚊らしきものは、誰が見たって一目で ア、蚊だー と恐怖の一声を思わずあげてしまう立派な蚊に成長し、名と功績をあげ、恐れられている2020年の今日

蚊一族は、地球温暖化に感謝し、、、今晩などは、けっこうその蚊族の会議で今後の蚊成長方針計画の後、一杯ヤッテ帰ろうかナドと言って私を刺したのだろうか。。。。。。

でもハッと思った事は蚊は、もしかして美しい   つまり美女がお好み、、、或いは反対なんて事が研究成果に出たら大変。。。。。。蚊は美しい人を好む、、、何て   そうしたら蚊に刺される軟膏なんてのが研究され売り出される、、、尤も人間にも好みは様々なので、蚊もそうかもしれないので世の中は蚊美女混乱に陥る、、、、、ドウシヨウ

 

神社の境内、料亭の大広間、、、学校の講堂そして経済大国の豊の あかし 、公会堂

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昔は、昔と言っても余りにも漠然としているので、、、つまり具体的に、、、私の子供の頃、、、を意味している。。。。。。それで、その昔は。。。。。。

その私の昔の頃は、何か特別な事、何らかの公演、発表会、、、日本舞踊、バレーの発表会等は料亭の大広間を借りていた、、、その内に日本は当時、私の子供の頃は、豊かな国ではなかったらしく、、、なかったので何かの講演その他のそんな発表会があると決まって学校の講堂が使われた。。。学校の講堂を借りた、、、のだと思う

まだ、料亭を借りていた、、、貸してもらえた頃は畳の大広間に桝で、、、浮世絵或いは江戸時代の版画に描かれている歌舞伎観劇の風景と同じ様な、、、、桝を作り出演者の家族が一つ桝を与えられ、家族、親戚、友人等を招きお弁当、お茶、菓子等を用意して、半分おしゃべり、社交、食事の今から考えれば、まことに、優雅と言うか平和な風景だった様な気がする。

出演した子達が半分舞台化粧が残っている顔で、、、つまり歌舞伎役者の化粧と同じような、、、顔で一年に一度の晴れ舞台の後、まだ多少の緊張の残っているおももちで空腹を満たし家族全員がくつろいでいる。。。。。

その内に料亭から断られ、、、尤もな話だとは、今になってみれば理解できるが、、、知恵をしぼって、学校の講堂を借り発表会を行ったが、、、何か慣れていないせいか、どこかに先生のヒステリックな怒鳴り声が響いている様な感覚で日本舞踊の持っている空気が追い払らわれた落ち着かない気持ちだった。。。。。。。。。。。

それにしても日本の先生は、当時、、、何故声を限りにあんなに怒鳴り散らしたのかと、、、と思うが

講堂に桝の観客席を作り観客は用意された座布団をひいて、重箱には、いっぱい日本食、お茶も 魔法瓶 にタップリ、、、なのだが、どこか落ち着かないチグハグな気持ちだった、。、。、

その後、日本が豊かになり市の、、、高崎市の公会堂が出現、、、その後はそこで行われる様になったが、私は今だに、料亭の大広間が一番 しっくり していた様に感じる、、、、、

前世紀の子供の頃の思い出を、、、20世紀に過ごした子供時代を懐かしく偲ぶ