WittenbergヴィっテンベアクとSchloßkircheシュロスキルヒェ、、、、、聞きしに勝るその中世再現の完璧さ。。。。。ルター、、、マルティン ルター の街を訪ねて

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ルター家の食堂、ルターを慕って毎晩大勢の来客だったとの事。。。。そんな時夫人は来客とも談話に加わりルターにとってなくてはならない伴侶だったという、、、

ルターは彼女を冗談半分にHerr Katharina ヘア カタリーナ ヘアHerrは男性につける 日本語で言ったら さん 氏 殿 に当たる、、、それだけ彼女が家計のみならずルター家の全て支配していたということです

ルター夫人は家計、果樹園、自家製のバター、チーズ、ハム等の製造、9人程の使用人そして5人の子供、、、全てを一手に引き受けていた。。。当時のドイツ人の生活は自給自足に近かったとの事。

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中世の街の満月が美しかった。         Wittenbergは前大戦で爆撃を免れたドイツの中では数少ない古都の様だ。

東西ドイツ統一後様々な現象があったが、その中でもドイツの古都、、、とは言わず殆んど全ての東ドイツのインフラ修繕再現は完璧だったようだ。。。おひざ元の西側から文句が出る程だった、、、、、そんな出来事を思いもかけずにここWittenbergヴィっテンベアグで思い出した。。と言うよりは @証拠@ を見たような気がする、、ドウイスブルグ等は現在も同様だとおもうが、インフラの整備など割合にほったらかしてあった様な印象をうけるが、その人々達は文句タラタラだった。。。。。今その人達がこの町を訪れたらなんと言いだすだろうと思ってしまった。。。。。

。。。とに角、私はドイツで初めて、こんな完璧に修理再現した古都に出会った。。。その完璧さは、さすがドイツ、完璧を絵に描いた、、、実践した現実であった。。。そして私はソニーで、、、日本の完璧なカメラで写真を撮った。。。。。撮る人が完璧ではないらしい。。。

ルターがお説教をしたという シュロスキルヒェ、、一番上の写真等、、余りの完璧さに暫し声も出なかった、、、それにこんなにキレイで、、、清潔で完璧に彩色してある教会はそれこそ文字どうり、初めて見た。

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DSC_9024立派なパイプオルガン、、も然り。。

ルターの先駆者 ヤン フス

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ヤン フスは、マルティン ルター より約百年前に、教会側の歴史ある主張と彼の考えが相反し、フスは彼の考えを曲げる事なく火刑に処せられた。

私は、このフスの目が美しいので、思わず我を忘れしばし言葉もなく只々憑かたように見続けた、、、まるで大自然の前にその無限の広大さと包容力に言葉もなく茫然と立ち尽くすようであった。

9月23日 ルター、、、あの、宗教改革で有名なルターのまちWittenberg ヴィテンベアクへ

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この駅からバスで15分程のどかな田園風景の彼方に中世の面影をそのまま残す、ルターで有名な街がある。

1517年,免罪符に対して、ルターは、抗議書95条を教会の扉に打ち付け公表し教皇の破門を受ける。                                     信仰は行い、、、免罪符を買うというような事、、、によらず、信仰のみによると説いた。

1522年に聖書のドイツ語訳、、、当時はラテン語のみであった、、、そして讃美歌の作曲、作詞も行い、今まで大衆にとってチンプンカンプンの説教や讃美歌を大衆の生活の中に身近なのもにした。。。。。。

世界史の中で マルテイン ルター の名は私にとって忘れ難い人物となった。。。。私はどうゆう訳か学校、、中学校、高校で歴史、、歴史と絵画だけには、、興味を持った、、、

と言うより自然に好きだった。。。。考えてみれば世界史も日本史も歴史の新聞、、、或いは、、、悪く言えば、悪い良いを全部ひっくるめたゴシップ、、、よく言えば記録なのでとても面白く、人間常にどう賢く時代に乗っていくか或いは乗れなかったか、真面目な性格、、、あるいはクソ真面目であったか、、、臨機応変であったか、、、頭の良い悪いよりは、運が良かったか、時期と性格と運の物語である。。。。。

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有名になってからルターと家族が住んだ館。一番下の写真は当時のルターの食堂、彼を慕って集まった人々と食堂での団欒。

下はかの有名な扉、、、95条の抗議文を打ち付けた扉。ルターの抗議文を焼却する教皇。 カラー写真はルターが教皇の告発状を焼却する。

ルターの約百年程前に彼と同じ事を発表した修道僧フスは火刑に処せられている事、ルター自身そんな恐れもあった。。。ということも書かれていた。

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上はルターが抗議文を打ち付けた教会のドア                      下は教皇がルターの抗議書を焼却。                          ルターが抗議文を打ち付けた扉は、勿論当時のオリジナルではありません。。。

下は教皇の教書を焼却するルター

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ルター家での食堂、、、彼を慕って集まった人々との食事と団欒。。。ルター婦人は大変だっただろうと、、、殆んど毎晩となれば、、、使用人は9人程いたという事だがそれにしても ご苦労様 でしたと心から思った。                           カラー写真はルターが教皇の教書を焼却する図。

こうして3泊4日のルターの中世への旅は終了した、、、が私は今だどこか中世の狭間に彷徨っているようだ。。。。。

中学でヨーロッパ中世について学んだ時に一番感銘を受けた人物と事柄と言えば マルティンルターと宗教改革だった。。。なんと勇気と意志の強固な人だろう、、、と

ルターは教皇の大勅書の焼却をどこに決定したかというと、、、、、、当時、時々流行ったペストの犠牲者を焼却する場所を選んだという事です。。。

DSC_9024   DSC_9033                    パイプオルガンの音色は厳かで美しかった。                     ルターは讃美歌、子供のための歌等を自ら作曲したという事です。

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運河で、、、Gymnasiumギムナージウム高校生カヌー部の生徒達とKaiser Friedlich Kanal カイザー フリードリヒ運河沿い並木枝を軽やかに走り回るリス

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水上を滑るがご如く優雅になめらかに枝から枝に、二匹のリスが戯れていた。

自然が奏でる美しい旋律に包まれ、、、私はとどまった。。。。。            柔和な二匹のリスのしなやかさは、まるで飛ぶが如き敏捷さ、、、であった。。。。。。。。。。。

週末のStraßenfestシュトラーセンフェスト  とウララカな頭の片隅

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まずは、コンテナーに放り投げて処分する前に、絵本、玩具その他必要でなくなった物を売り出し売り出し、、、小遣い稼ぎ、、、合理的。。。。。そしてこの舞台の未来を約束された才能あるお姉さんも肌で現実の厳しさを感じ取る、、、、、

兎に角、和やかな余りにも平和なある週末の一時、、、心配になる程の、、、

一瞬、不安に陥り、、その刹那、現代音楽の不協和音の如く、私のうららかな頭の片隅をかき乱した。。。。。

遠い夏の日々が懐かしい、、、ほうずきの実

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広重の江戸名所百景を背景に子供の頃の夏の日々が彷彿とし、、、この鮮やかな橙色のほうずきの実の思い出の世界にいざなう。。。。。

鑑賞用にほうずきの実の色彩を操作したのか、私にはこの橙色が異常に晴れ晴れしく感じられ少々がっかりしたが、懐かしさに抵抗できずにこうして我が家でキラキラと輝いている。

この鮮やかさはまるでネオンサインの様だとブスブスと文句苦情が湧き出したが、、、21世紀の日本だってそれ程変化はないだろうと思い直して現状に従ったものの、なんとはなしにスッキリしない気落ち。。。。。

ほうずきは風邪予防として漢方薬の仲間入りをしていると言うことだ、、、そう今は亡き母が言っていた事を思い出す。。。。。

夏の日々、美しく橙色に熟れたほうずきがやや枯れ始めた外側の黄色っぽい薄緑色の袋の中にまん丸い一心に丸い小さな小世界が美しかった、、、それを無造作に口に入れ噛むと、甘酸っぱい味が広がり何とも美味しかった。。。。。私が今まで割合に健康であるのはきっとその橙色の甘酸っぱい小宇宙から自然の力をい頂き吸収できたからなのだろうと今でもそう信じている。

ドイツの花やサン或いはスパー等で見かけるほうずきは一度も食した事はない、、、どうしてか、、、ただ、そうしたほが良さそうな気がするので。。。。。