Hamburg Kunst Halle の カフェー レストランにて、、、、、まどろみ

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ギリシャの柱の様式を取り入れたハンブルグ クンストハレのCafé 兼 レストラン。           天井が高く晴れ晴れとし天空に舞いだす。。。。。                              時々絵の鑑賞ではなくただ単にこの空間で 閑  の一時を過ごす。

 

様々な時々が湧き出し、流れ出、にじみ 徘徊し 飛び交い 話しかけ 微笑み 時には大笑いし、、、時々と共に思わずほころび。。。。。

真摯な日々を大海を前に、うねりを砂のうねりを聞き大海の前でたいかいに流れほとばしりほとばしり手と手を。。。。。

ハンブルグで逢ったドラクロワ。。Hamburg Kunsthalle にて

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今年、2017年2月に1年有効の ハンブルグ クンストハレの会員になった。               恩典は1年間の入場無料と定期的なニュースがインターネット、郵便で得られ、時々他の都市の美術館訪問を兼ねての日帰り遠足がある、勿論参加費を払う。                            遠足にはまだ参加していないが、美術館へは殆ど毎日の様にでかけている、、、最近は小休止をしているが、何度訪問しても、飽きず、毎回新しい事を発見する。

この写真のドラクロワの絵は小品で、他の大きな絵の中で殆ど目立たなかったが、私の好きな絵の一つになった。                                                      上へ上へと流れる動きの瑞々しさがみずみずしく、聖母マリアが昇天する様子が品位をもってまとめられている、どこかに未完成の様な印象を受けるが、何かそこから、次の時代、様式が動き始めている力を感じる。

コール前首相 と メアケル首相

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6月17日朝、まず、いつもの様にベットの横のラジオのスイッチをつけた。                                          コール前首相、東西統一首相、死去のニュースが流れた。                            ニュースに与えられた5分の内に世界のトピックスの要約を伝えるテクニックを駆使し、コール前首相の走馬燈の様な纏めを無味乾燥に伝え、他の出来事を報道し、いつもの様に5分は終わった。

現在のメアケル首相は、彼女は、前コール首相の秘蔵っ子であった。                   丁度ドイツの東西統一時で、当時のコール首相が東の若い女性政治家、2人の女性政治家を登用し、”KohlsMädtschenコールスメーチェン”  と言われ一躍マスコミの目の中で正に政治家として産声を上げたと言った感だった。                                            メアケル氏の同僚の女性は、彼女は何かのそう大した事ではない仕事上のミスでやり玉に挙げられ、こうなるとドイツ人は一致団結し徹底するので、、、それから、間もなくしてドイツ議員を返上しイギリスに渡り、そこでイギリス人の優しい夫となるべき人に出会いハッピーな人生を始めた、、、とのニュースというか、、、噂を耳にした。。。。。既に大分前の話。

方や Frau Dr. メアケル は、前コール首相の下で多くの政治家としての経験を積み歩んできたが、彼の献金問題を機に、彼と一線を画し離反していった。                            それ以来、勿論の事、個人的にも、政治的にも、お互いの試みにも関わらずしっくりしなかったとの、、、巷の話。。。。。

メアケル首相の父親は牧師で、牧師としてハンブルグから東ドイツ、東ベルリンに赴任し、メアケル首相は東ベルリン生まれ。                                              東ドイツで物理学を専攻し博士号取得、、、つまり、 Frau  Dr. Merkel

当時の東ドイツでは、両親のいずれかが大学を卒業している場合は、その子供は大学入学許可が下りないが、成績が飛び切り良い場合はその限りではない。。。と言う事で彼女はその  “飛び切り良い” グループ だった。

一か月程まえ、偶然にハンブルグの市庁舎前で、メアケル首相が市庁舎から出てくるところに出逢ったが、品位と自然な内から湧き出る威厳と落ち着いた自信と聡明さを感じた。                彼女はドイツ国民に愛されている。

Hamburgハンブルグ  Ritterhausリッターハウスと石畳

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1966年から1971年、第1回目のハンブルグ滞在の中で印象的で忘れられない事は様々あるが、この建造物もその中の一つ。                                              当時は荒れるに任せ、、、といった様子で 正に ” ほったらかして” という言葉がピッタリの状況であった、帰国1年前、或は1年半前頃から修復工事が始められていたが完成を見ずに1971年帰国した。                                                           年月の足跡が踏みならしスベスベになった石畳だったが、カイロ時代に夏休みの旅行でドイツに立ち寄った際には1976-1980、多分安全の為に、ノッペラボウのアスファルト、現代の厚化粧を施されていた。。。。。。

 

闇にしみとおる馬上の騎士、、、ひずめは、こだまし、こもりながらしじまに伝わり鐘の響きと共に彷徨う、、、一瞬、静寂が私を引去った

人相に影響を及ぼす環境 と ドイツの中学生、高校生・・・ ギムナジウムの生徒 

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一番下の写真はギムナジウム 大学進学には必須の高校 ではなく職業訓練、実科学校の生徒。       小学校4年生までをGründschuleグルゅントシューレ、4年生までクラス替えもなく、特別な事がない限り1年生から4年生まで受け持ちの先生も同じ。

5年生からは、大学進学に必須のGymnasiumギユムナジウムと職業、実科学校コースに分かれる。

ドイツでは、学校と落第はつきもので、さすが小学校は稀だが、皆無ではない。              何を専攻したか、何の職業訓練、を受けたかが重要な社会構造になっているので、日本人の私から見るととても厳しい印象をうける。

多分、そういったシステムの一面なのかと思うが、ドイツ人と話をしていると日本人にとって、知っていて当たり前の事を知らない人に会う事が日本人の場合より多い様な印象をうける。            半面、個人主義、自己の主張は小学校、、、既に幼稚園、、いえ、幼児、イエイエ生まれたまれた時から家庭で、社会で訓練される、、、社規全体が個人主義、自己の意見の上に成り立っているので、、、夫々が立派な演説、、、私から見れば、、、を始める、、、、それで、こちらも負けずにガンバル。。。頑張らざるを得なくなる。。。  その、成果、、、かフツウの日本人である事から ”ズレ” まず外見は、解り易く形容すれば、、、”人相が悪く” なる。

 

Grand Illusion 大いなる幻想、或は幻覚に出会う。。。@これがマア@違い。。。。。

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昔懐かしい Milch Straße。銀河。。。。。。。。。。1970年代アルスター湖の反対側から引っ越し、長男の幼稚園の送り迎えに湖を船で渡り、毎日の送り迎えに通った懐かしいMichStraßeへ散歩に出かけた。。                                                                                                                                                 当時から ジル ザンダー のブッティックがあり、現代程彼女は有名ではなかったが結構シャレた物があった。。。。。

時は2017年、”浦島さん” が訪ねてみれば、全てが清潔に新しく塗り替えられ、これがマア、、、これがまあ終の棲家か雪五尺、、、一茶ではなく、、、あの、まどろんでいた様な  ミルヒ シュトラーセ、、、、、か、、、と、、、しばし戸惑ったが、、、、良くよく現実を落ち着いて眺めてみれば、当時にはなかった   “グラン イルジオーン 大いなる幻想様式”で描かれた、、、壁画に出逢った。。。。。。それで、機嫌を直して、、、嬉しくなって写真を撮った。。。。。

2017年6月7日水曜日の私の環境風景

ドイツ語の üppig  という言葉そのもの、、、この豊かに茂った緑を前にして暫し自然の力,生命力のみずみずしさ に立ち止まった。。。。。。散歩がてらパン屋さんに  大分遅いFrühstück フリューシュ トゥっク朝食に 降ったりやんだり、、、止んだりふったり降ったり。。。ふったりの雨の中を出かけた。、。、。、。

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