。。。St Georg ザンクト ゲオルグ 聖ゲオルグ、 別の名を竜退治のザントゲオルグ、、、と家康

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写真は St.Georg 竜退治で有名だけではなく、薬、薬局の神様   ハンブルグ市歴史建造物指定 。

元々は薬局の建物だったが、現在は若者に好まれる簡易レストラン、現代の恐竜と取り組んでいるSt.Georg の様な若者で溢れている。。。。。

元祖江戸幕府 の元締めの趣味は、薬草で、その知識は医師顔負けの境地に達していたとの事。。。そして事実、その効果の結果であるかどうかは定かではないが、兎に角、家康は長命であった。

 

神代の三角関係。。。。。不意を襲われたヴィーナス—美と愛をつかさどる女神とマルス軍神….. それから夫のフルカーン火山神

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ギリシャ神話には、この様な アブナ、、、くもあり興味津々でもあり又手に汗握るサスペンスに満ちた、それなので、誠に人間的な物語が多い。

この絵は イタリア 初期ルネサンス を代表する画家ボルドーネにより1548-1550年ころギリシャ神話の話をテーマに描かれた。                                          イタリア ルネサンス を代表する画家として ボルドーネ の後に、ミゲランジェロ や ラファエロ が輩出する。

ボルドーネは ティチィアン の工房に14才で弟子入り後、師を凌ぐ画家に出世した。          そして、師であったテチィアンは、かっての弟子の出世の邪魔をした、、、という事だそうです。。。。。いつも変わらぬ世の習い。。。。。

左上のエンジェルの表情がとても素っ頓狂で面白い。。。。。                        ヴェヌスを防御するマルス軍神の体躯がとても美しい、それに比べフルカーンは私にとって少々筋肉ムキムキ過ぎ。。。。。

やや混乱ぎみの朝食と美味しかった中華ソバの今朝、、、サテ、これからKunst Halleへ。。。ルネサンスのデザート

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混乱気味の朝食とデザートは中華ソバ。                                              久し振りに焼きソバが美味しかった!                                 我ながら上出来

伝統衣装のドイツの大工さん

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オースターの土曜日、遅い朝食に、Dat Backhausダット バックハウス。。。ハンブルグの伝統的なパン屋さんへ出かけた。

そこで、何と伝統衣装を纏ったドイツの大工さんに遭遇!                            早速、我が座右のソニーを取り出した。。。。。。。大工さんの彼女は、まるでライン河の妖麗な乙女の如く素晴らしい金髪。。。清々しい春の光の中でより一層 黄金色に輝いていた。。。。。。。。。。。これぞ、ドイツの伝統的金髪美人

。。。。。。。とこんな、オースター祭日の連休

あのテッペンで手を振っている金色に輝く青年、、、太陽の神アポロではありません。

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このヴェネチアンレッド、”ヴェニスの赤” の家のテッペンから手を振っている若い青年は薬局の守護神ゲオルグ。、。、。、と市の説明。

ドイツ語で ザンクト ゲオルグ、英語読みで セイント ジョージ、は好まれている聖人らしく、日常によく登場する。。。。。。私にとって、兎に角私は一応仏教徒なので、、、、、薬局の聖人という肩書は今回が初めてだ。                                                     ザンクト ゲオルグといったら、連想ゲーム等に登場したとすれば、まずは、Drachen Töterドラっヘン トーター怪竜退治となる事は100%保証する。                                それで、後日どうしても気になるので、出かけ直し、角度を変えて望遠レンズを拡大し拡大しそして拡大して見れば、、、何せ4階の位置に据えられているので、、、そうです!正に怪竜を退治し足元に踏みつけている神々しい姿!でした。

これで、一件落着。

ドイツの手をつないだお年よりと若い、、、まだ若いお父さんとButterkuchenブッタークヘン

DSC_5890DSC_5899DSC_5888 今朝はと言うより、、、今日は遅い朝食、、、今日は、と断る理由は全く無いのだけれど、、、兎に角、一日のスターターとしてとる食事に、近くのパン屋さん Dat Backhausダット バックハウス で ブッタークーヘン、直訳すればバターケーキを選んだ。                  ドイツの菓子パンの一種で割合にサッパリしているが、日本人の私には、いつもの様に少々甘すぎ、 上に振りかけてあるアーモンドのスライスが少々多すぎ、、、少々大きすぎ、、、なのだけれども、他の菓子パンに比較すると、しつこくなく・・・強調するが @他の菓子パンに比較して@、甘すぎずさっぱりして美味しい。                                                    日本人の食生活と量では、あのドイツ人の体格を保持するには向いていないのだろう、、、と、思うこの頃。。。写真のブッタークーヘンは本来の大きさの半分、大和ナデシコの私には、量が多すぎるので、いつも半分に切ってもらう。

パン屋さんによって夫々味が異なっているが、Dat Backhaus のブッタークヘンはサッパリして美味しい。

この庶民的な通り、Hocheluft Chaussee ホーエルフト ショッセー で道行く人々を眺めながら朝食する事も私の✌(‘ω’✌ )三✌(‘ω’)✌三( ✌’ω’)✌楽しい事の一つになっている。。。。一度この記号をつかったら、楽しい、と書くとこの記号のような絵が出てくる!

カルタゴ  karthago ….想い、、あるいは、、、、、幻覚、、、めくるめくげんかくざい

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以前は、、、大分前の以前は、、、テレビが、、、どころか PC がまだ世界を支配していなかったその時代は、映画が日常に密着していた頃はよく映画を見に行った、今でも”洋画”と言われているのかどうか、、、兎に角、アメリ映画、洋画は別世界と接する事のできる少ない時代の憧れと夢に近づく一つの機会であった。

当時は世界史、特にローマ時代の壮大、雄大な背景に雄々しい英雄が活躍する映画が多かった。  それは私にとってまさに別世界であった。                                    環境、すべての環境、、、会話、マナー、モード、建造物、景色、まず空間の大きさが,荒唐無稽とまでに言える程に,途方もなく強大な次元が有無を言わさず私を捉えた。。。

最近、ハンブルグの Kunst Halle で、この絵に出逢った時、何とも形容しがたく、嬉しかった、この上もなく懐かしく嬉しかった、素直に初々しく嬉しかった。。。嬉しい事とは、こういう事なのかと、自分自身、訳が分からず幸せな気持ちに満たされた。。。まるで誠実な、想いに満たされた時の流れ、に再会した様だった、、、、或は、、、幻覚。。。。。エジプト アレキサンドリア港を思い出させる何かが漂っていた      。

カルタゴは、現在のチェニジアに位置し、ギリシャ、ローマ時代、前3世紀頃から海運と商業で栄えた古代都市、ヨーロッパの歴史が何時もそうである様に、ローマ帝国の成立と共に前2世紀頃からローマ帝国に支配されローマ帝国滅亡と共に滅びていった。                              カルタゴの全盛期には、スペインの海岸沿い、シシリー島、エジプト沿岸を支配した、、、という

上の絵は遠いいにしえのカルタゴを舞台とした言い伝え、エネスとディドが描かれている。       1600-1682の画家によって描かれた。

最近は歴史、特に古代を扱った歴史映画が殆どない、、、私は、、、と思う、、、のでこの絵の前に立った時とても懐かしく嬉しくワクワクした。

なにかが、海の彼方に天水彷彿として揺れるけはいを見た。。。。。。。。。。めくるめく幻覚剤

Hamburg  Kunst Halle にて撮影

曇りがちな、こんな日は Kunst Halle で 紅茶を飲み、それから好きな絵を見ながら散策。。。

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ギリシャ神話の中でもかなり有名なナスシスの物語をテーマにした絵。

池に映る我が姿が余りにも美しいので恋い焦がれ、美青年に近づこうとし溺れ死んでしまう青年の話。。。。。そこから@ナルシスト@が誕生。

神話の世界から現実に戻り、美術館のカフェテリアはお値段は、はらず、、、それなので、、、、喉の渇きを癒す程度を期待すれば、マアマア、、、、天井が高く広々とし、ギリシャの柱の様式を混ぜ合わせた様な柱が落ち着いた雰囲気を出している、、、、軽い食事も可能。

デユッセルドルフの美術館のレストランはハンブルグと比較すると充実している。

 

天国の鍵をつかさどるペトルスも迷ってしまうのでは。。。と ,-?§”!* 心配になる程、、、鍵のなる橋

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天国の鍵をつかさどるペトルスも迷ってしまうのではないかと心配になる程の鍵のなる木、、、鍵のなる橋

それにしても聖書の物語の初めから鍵が重要な役割を与えられた世界と、鍵の存在が大きなカを持たないコスモスで成長した私にとって、いつもの事ながら理解しきれない何かが、ゴロゴロと何処かに残る。

日本での宗教の環境にたいする姿勢は友好的、、、と言える。                         仏教はキリスト教の様に政治と密着していなかったし、キリスト教と教皇、帝為政者との緊張した力関係は、聖徳太子の仏教奨励以来、仏教と其々の時代の権力者との間にはなかったというか、仏教の勢力はそれ程強烈ではなかったので、政治の後方においやられ、屏風のような役割に留まっていた。   どちらかと言えば、為政者が仏教を有意義に活用したといったといった印象を私は受ける。