、、、そして、その母親が長男を幼稚園に預けてから、路面電車、現在はバス、そのチンチン電車にのり Rathausラートハウス 市庁舎まで出かけ束の間の自由を満喫する出発点の駅。
園児が写真を撮る私を窓から眺めていた、、、長男を迎えに行った当時の思い出が現在と重なって目の前で一致した様。。。。。
当時は”R”の発音が出来なかった私は、RATHAUS と言えず LATHAUS と路面電車の運転手に言ったので、彼は理解できず、何度も聞き返したが、私は私でLATHAUS と堂々と臆することなく何回も繰り返したので、運転手のオジサンは諦めて、一番安い区間の切符を私に渡した。。。。。
1966年から1971年までハンブルグに住み息子が小学校入学前に帰国した。 当時、戦後20年以上は経過していたが、まだ戦争の傷跡が生干しの様にどこかに残っていたが、、、現在はきれいサッパリと跡形もなく至る所、清潔にピカピカに磨き上げられていた。
Zimmer Strasse のバス停から住宅街に入ると、私の住んでいた通り、懐かしいZimmerstrasseには長い年月が幾重にもいくえにも積み重なっていた、、、全てが、久し振りに出したお雛様の様に古色蒼然として私の目に映った、、、
それにしても、至る所 清潔さが光り輝きまばたきの音さえ聞こえる様であった。。。日本も公共の場は清潔だが、ドイツの清潔さは緊張感が漂い異常というか息が詰まりそうな境地に入っている。