柱の様式。。。はるばるギリシャから法隆寺の柱へ 

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この写真の柱はデユッセルドルフのホーフがルテンとアルトシュタッとの境界にあるもので、かってナポレオンが破竹の勢いでヨーロッパを制覇しロシアまで勢いを延した際デユッセルドルフを通過しもその時に建てさせたといういわれのある市門。

柱の様式はギリシャ建築の3っつある柱の様式の内、最初のドーリア式の上部がややアレンジしたスタイルになっている。

ヨーロッパの基本は文化、芸術、哲学、文学、演劇、政治、、全てがギリシャを基本、土台として発展している。。。それでEUを形成するに当たって最後に今や零落したギリシャをもEUの仲間に入れようか、、、入れまいか、、、イヤ入れましょう、、、いやいやトンデモナイ、、、かんかんがくがく の末、思案の末、ご存知の通りギリシャもEUの一員としてスタートした。    ヨーロッパの全ての母体であるギリシャをヨーロッパ人として、除外する事は、ヨーロッパ人として血と肉の中に流れているギリシャの諸々を心情的に否定出来かねた、、、勿論、現実的な政治的な熾烈なそして露骨な駆け引き計算,奸智術策が神出鬼没し変幻自在した事は当然として、、、尚且つ大いなる誤算になっている現在でも ”経済的にも” 精神的文化芸術面にもギリシャを除いてはヨーロッパは語れない。。。ギリシャが栄えた時代は紀元前5世紀年頃から凡そ紀元頃には衰え始め、それ以後歴史の華やかな舞台から消えている。。民主主義の発祥の地、ヨーロッパの母体として「腐っても鯛の骨」 という事なのだろう。

この写真の柱の様式はドーリア式、特徴は柱がやや中頃でふっクらと曲線を描いてい(エンタシス)他の二つの後に続く様式の柱よりズングリとしてるこの様式がはるばる中東の砂漠をオアシスを通り、中国の草原、砂漠を渡り海を越え日本の法隆寺の柱に伝えられている。。と寒い冬の晩、母が私達に話してくれた事を何故か鮮明に、あの昔の凛と張りつめた凍てつく冬の寒さと共に思い出す。                       唯、数年前に息子を連れて法隆寺参りをした際に読んだところによると、明治維新の新しい国造りの際、国民に対する心理操作療法のための作り話し、ではないか、、、というホントの様なウソの様な話に出会った。。私はドイツというこの国で常に異邦人として、日本という極東と呼ばれる位置にある国からの異邦人として(極東とは勝手に自分自身を中心に置いた場合に出来上がった言葉なのを理解しているのカナー、、、)、その日本とは根底から異なる国で、新鮮かつ興味の尽きない深いカルチャーショックとやらに長年鍛えられているので、ソンナ心理操作は必要ではないので、、、兎に角、私の夢をそっとしておいて欲しいと思った、

私の心の中にポッカリと空洞が出来たような寂しさを覚えた。           地球は丸く、繋がり繋がり一つになっている様に、人類も徐々に違いながら異なりながら文化、歴史、芸術全てが繋がり地球になっている、、人間の喜怒哀楽が歴史となり文化となり法隆寺のエンタシスの柱もそうして日本に伝ってきたと私は今でもそう信じている。

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