久し振りに明るい土曜日 散歩がてらゲーテ博物館 文豪と人間ゲーテを巡る女性達

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私の家から徒歩およそ30分の所にゲーテ博物館がある。                     最近,医者から散歩を勧められたので、昨日は夕方霧雨の中をライン河畔まで散歩に出かけた、今朝は趣向を変え,お茶のみ,の朝食後、散歩の目的地はゲーテ博物館に決めた、いざ博物館の前に立つとなんだか、其の侭引き返すのも惜しい気がして中に入った。                そんな訳で、それに既に何度か訪れているので長居をするつもりは全くなかったが、気が付けば2時間が過ぎていた。

ゲーテと言えば勿論誰でも 「若きウェルテルの悩み」 「ファウスト」 を連想するが、博物館もそういった事は心えていて、「若きウェルテルの悩み」特別室を設けている。          又、私達、素人、、、或は興味の対象が、、ありふれたと云うか卑近なテーマ、、、解り易く表現すれば、、「ミー、ハー的」 興味、、ゲーテの晩年に至るまでの女性関係などがサラリと紹介してある事も興味深い。

「若きウェルテルの悩み」 は小説発表後、瞬く間にヨーロッパ中の話題となり、当時は、一時期小説の影響を受け自殺する若者が出て、ちょっとした社会問題になったという事で、またマイセンでは 「若きウェルテルの悩み」限定コーヒカップーも売り出され人気があったという事だ、、、、、歴史は螺旋階段の如しと、、、どこかで読んだことがあるが、、、今更感慨に耽ることも全くないが、ゲーテの時代、凡そ200年前も現代も人間の行動は余り変わっていない様だ、、、その程度が時代を重ねるごとに精巧???になる事は喜ばしい事でもあり又同時に或る恐怖に近い感触を覚える。

兎に角、空腹は私を現実に引き戻し、、、散歩前に用意しておいた素晴らしいブランチめがけて家路についた。

私のマイホームの近くで出会った日本車

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今日はどういう訳か、買い物の帰り道、私の家のすぐ近くで出会った日本車が不思議な程多かった、写真の他にもトヨタ、ホンダ等何台かあったがまるで日本車ショー、、、これはチョット大袈裟、、、の様だった。

1966年、ハンブルグで初めての海外生活を始めた頃は毎日が 「不思議の国のアリス」 であったが、その中で今でも鮮明に甦る風景がある。                          長男の幼稚園の遊び友達の母親、気さくで気持ちの良い当時としては外側から観測した限り、偏見の少ない、ごく普通のドイツの主婦が、こう私に全く悪気なく、何の不愉快な響きも感じられない調子で、まるで道を聞くような雰囲気で、空は青く、日は東から登り西に沈む事とそう世界は決まっている、、、という思考回路で質問した。

「日本人は水の上に家を建てて住んでいるの」

ショックといってこれ程ショックを受けた事はなかった。                        それで若い私は、気持ちを整理し、そうではない事を拙いドイツ語で説明した。

今朝の 「大袈裟に言って *日本車ショー、、、*」 の光景は、私のその「ショック」を思い出させた、、、「今昔の感」 などと言ったら、センチメンタルなのだろうか、、、、、

雪の日の義務と責任を遂行している近所のオジサン と 雪の中の日本車

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一階の住民は雪の日の雪かきが義務となっている、もしその義務を怠って、それが原因で通行人が滑り或は転んだ場合は、その義務を怠った1階住民の責任となり、医者の治療費その他の責任を持たなければならない、、、、そうです。                          このオジサンもその義務遂行中。。。私が通りかかると、オジサンはにっこりとした笑顔で、またこういう機会を楽しんでいるといった風情で 「Madam、 Bitte schön マダム、ビテ シェーン。マダム、どうぞ、お通り下さい」といって中世の騎士の様なゼスチャーでうやうやしく道をあけた(近所とは言う物の、一面識もない住民に)、、、こういう時、この全く普通のドイツの隣の山田さんの中に流れているドイツの長い長い歴史を垣間見る様だ。               同様に自己の権利、正当性そして考えを,何がんでも主張するドイツ人の中にも同じ歴史の鼓動を見い出し、「感慨」に陥る。

雪の中の日本車に出会い 「こんにちわ」 、、、この場合は素直に感慨。            私が住んでいる近くの住宅街で。

オーバーカッセル。。。思いがけず、、、、、

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オーバーカッセルからライン沿岸の旧市街を眺めた絵葉書によく出てくるアングル       やや中央の丸いおおきな輪は、最近様な々理由をつけて登場する観覧車。          観覧車のある辺りの中央は日本祭りが毎年行われ、10年程前までは櫓が立てられ、盆踊りを踊った、、、炭坑節と東京音頭を櫓の上で説明しドイツ人に教え、日独で盆踊りを楽しんだ、、、誰が盆踊りをドイツ人にひもといたかって???勿論誰もいなかったので私に白羽の矢が立ち、、、ナゼカ私にもはっきり理由は定かではナイノデスガ、、、5年程櫓の上で盆踊りの指導者となってオクニノタメニガンバッタ。。。。。                             左のやや曲がっている塔は教会の塔。 後ろには有名なデュッセルドルフのアルトビールの居酒屋が所狭しと軒を連ねている、若者のたむろするカフェー、ヨーロッパ、中東、中国、韓国、東南アジアレストランそして日本のレストラン、勿論ピッツア屋さんと様々な飲食店が生存競争に明け暮れている。                                              文化面では、世界的な詩人ハインリッヒハイネ の生家、ハイネ博物館、陶磁器博物館、キ―ノー博物館、現代アート美術館、20世紀、21世紀美術館などがひかえている。

左上は Belsenplatzベルゼンプラッツ  右上は Luegalleeルークアレーのカトリック教会

グリークのメロディーが聞こえてくる、そしてどういう訳かカイロの日々を思い出させる写真、、、きっと退屈文

DSC_1710DSC_1710DSC_1710 DSC_1710 カイロ、、、冬という時節柄、あの白金カイロを連想、、、そのカイロではなく、今世界の注目を集めている中東のカイロ、エジプトの首都カイロ、回教の美しい音律の祈りが1日に5回街を清めるカイロ。     パスポートが現在のサイズより大きく、それだけではなく色も赤ではなく濃紺だった頃、私はカイロに3年程住んだ事がある。初めての海外生活であったドイツ北端の港ハンブルグ同様に、カイロも私の世界に変化に富んだ角度と光を与えた。              赤、黄色、青、群青色、灰色などの原色の椅子、クッション、電灯の笠がスキップするような軽快な印象を与えるカフェーの前を通り過ぎる時、私は グリークのメロディーを思い出す

弦をつま弾く軽快で立体的なメロディーの間からあのカイロの混乱と無秩序、銀紙のように照り付ける白い太陽の音が弦楽器の響きように聞こえてくる。                     無秩序の中の秩序、混乱の中の秩序と整然の世界カイロ、、、これ程に魅了されるものはあるだろうか、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、            回教、キリスト教、仏教文化が行きかい交じり合い重なり合うイスラム世界がやがてヨーロッパの最南端、地中海に接しようとする所、抜けるような 海の青さの中に高く低く陰げる中東西端の砦。
北アフリカがかすり千夜一夜物語りの翔りが今もなお僅かに響く中東の都。
広大なサハラに押し上げられ、不毛な砂漠が終わろうとする所、ナイルの肥沃なデルタが地中海にに果てる一角、かってナイルの賜物と謳われた中東西 端の都、数千年に渡る様々な民族の生活が交差し、沈殿し濾過され堆積した都、カイロ、、、 くすんだ歴史の滞積の中に、現代が有無を言わさずはめ込、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、きっと退屈、、と思うのでこれ位で止めておきます、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。

「雨二モ負ケズ」 パロディー 「ドイツ人とおしゃべり」 の集いへ

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私達の集いのザッとした紹介です。
「雨ニモマケズ」パロディー 「ドイツ人とお喋り」

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニワ時々マケル 程の丈夫ナカラダヲモチ
慾がなくもナク 時々怒るが 日本クラブから追い出されでも価値がないので 「トンチンカン」とワラッテイル  デュッセルドルフの樫の木の陰のプロレスタント教会の異教の神に救われドイツ語に苦しんでいる人があれば誠実、実直、人情のあつく思いやりのあるドイツ人ボランティアの3人の女神が天上から舞い降りほとんどアラユルコトヲ自分ヲ感情二入れて良ク見聞キ分カリ ソシテトキドキ忘レズ 子供も母も皆健康でよくケンカし粘り強く難しいドイツ語を勉強しドイツ語教室のテストがあるとオロオロし、結果が良くなければ一緒に泣く、1€のコーヒとー1€の教会のとってもトッテモそしてもう一度トッテモ何度言っても言い足りなく美味しいコーヒーとボランティアの人達が焼いたケ―キを食べ人々や 「??????クラブ」 二デクノボーウトヨバレホメラレズソーイウ会二私達ハナリタイ

今日は、既に15年来続いている、そして「続けている」今年最初の 「ドイツ人とお喋り」 の集いだった。 土曜日からの殆どドイツ全域を襲った嵐は未だ去りがたいといった風情で今日も忙しく雨と風と青空、突風、雨青空突風雨、、、と言葉通り雨にも負けずの変化に富み過ぎた日だった。                 そのせいか、私達の「ドイツ人とお喋り」の参加者は私とアンジェラの2人であったがそれはそれで楽しかった。クリスマスが過ぎて暗くなる様子が大分遅くなったが、それでも午後の4時をまわるとジワジワと暗さと寒さがしっとりと広がるので、それに二人共既にそんなに若くはないので、いつもより早めに帰宅に就いた。  ハインリッヒ ハイネ が子供の頃よく遊んだというHofgarthenホーフガルテンを散歩しながらお喋りの続きを楽しみ家路についた。

上、3枚の写真は私達2人の楽しく含蓄に富んだお喋りの内容を視覚化したもの。       

「ドイツ人とおしゃべり」 の会                                              

時間      毎月第2火曜日 午後3時ー4時30分
                                                                            
会場      Immermann Strassßeの近く、Berliner Alleeの始まりにある                            プロテスタント教会のカ フェー  Johannis Kirche  Mrtin-Luther-Platz 39                             問い合わせ kazuko41@gmx.de

霧雨のそほ降る土曜日の早朝クロワッサンを買いに行く道すがら 

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ハンブルグ旧市街の住宅街、娘の住んでいるパン屋さんの近くにて。

旧市街の散歩の楽しみは、時が語りかけてくる様な踏みしめられた石畳を歩き、家々の様式、また家の様々な色彩のシンフォニーをたのしみ路上駐車のセカンドカーの生産国を見る事。   数ある小型車の中にその割合は少ないが日本車を認めると嬉しく、つい 「ご苦労様」 と声をかけ てしまう。                                              私は皆無と言っても大袈裟にならない程車には興味がないので咄嗟に名前がスラスラと出てこないが、覚えている限り、、、トヨタ、日産が特に人気があるようだ、続いてダットサン、スズキ、ホンダ、マツダ、、、、、、と続いている。

面白いのはお隣の国イタリー車フィアットは、日本車より占める割合は大きいが他のヨーロッパ車と比較すると少ない。                                         ドイツの友人が、頭文字をもじったジョークを言っていた事を思い出す。             FIAT  F フェーラー過失 I イン中  A アレ全ての  T タイレ部分            日本語に訳して、、、全ての部品の中に過失

森の国の緑色の扉                  色でない色 灰色の冬に覆われる国の灰色の扉

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ドイツの緑色、、、、と私は名づけている、森の多い国の森の色、緑の色。             フランス、イタリー、ギリシャなど海に囲まれた国々では緑よりも海の色、青に出会う事が多い。                                                         ギリシャの島々で出会う青の様々な事といったら、それは海の深さにより微妙に変化する青さの色彩の表情そのものだ。

黒から白に至る、暗から明に至る繊細な灰色の変化は色彩学によれば、色彩の範疇には入らない、、、そうだが、何はともあれ、これほど寡黙で深淵で静寂で美しく包み込むような包容力のある色を知らない。                                           ハンブルグの霧に包まれた世界はそのままが一枚の絵画である。                 冬の憂鬱な夕方が暗さを増す頃には、霧は棚引き棚引き、ひそやかにほほえみ合い重なり合い、いつか灰色の霧は濃度を増し、幽愁に沈みしずんで崩壊し街全体を覆ってしまう。    そんな世界に彷徨する時、私は時々、ある短編小説、、、小説というにば、短編というには余りにも短い小説 「仲間」 を思い出す、、、霧の深いロンドンの深夜のしじまをさまよう不思議な親子を思いだす。

開けゴマ      扉、正面装飾の後ろに様々なヨーロッパの時の顔が

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ヨーロッパの建造物の魅力の一つ、正面装飾、扉は日本で言ったら門構えに相当するだろう日本の古い住宅街には、趣のある門構えの家々が並び夫々の家の数寄心が伺われ興味がつきない。                                                     素材の特性を生かし植木、門の大小、形が門の構成の一つとなり門構えとなり、四季折々の自然の色彩が謡っている、張りつめた漲った雪の白、新鮮にほとばしる萌黄色、真夏の力強い太陽が与えた濃い緑、燃えて燃える茜色、「時」の刻んだ美しい木目は、風雪の響きに触れた様だ、、、全てが自然の動きの中で自然のかいなの中で調和している、

素材が主に石で成り立っているヨーロパの家々は直接道路に面しまた隣家とのつながりが壁続きである。正面装飾、Fassadeが趣を凝らし、夫々が個性的に構成され、晴れ晴れしく自己を主張しプリンマドンナのアリアを聴くようだ、又時々ギリシャ神話などからモチーフを取り入れたもの等もありヨーロッパという大きな一つの文化が伺えて興味深い。              絵画の様に色がほどこされた様々な家の色彩が連なった通りは、昔の絵具箱の中に迷い込んだ思いになる。                                               そこには自然の入り込むすきのない人為的な、合理的なつり合いの美を見出す。

ロマネスク、ゴシックそして忘れてはならないルネサンス、、、勿論バロック、ロココ、アールヌ―ボー、、、等の時代と様式の移り変わり,特に過度期の持つ動きが内から感じられる時のワクワクする感DSC_1826触は日常を豊かにする。

ハンブルグの運河

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冬の古都ハンブルグを縦横に流れる運河。                               私の初めての海外生活、、、或は外国生活が始まった、そして娘の又孫娘の出生地であるハンブルグ、、、幾つかある生活の中の新しい出発点、あるいは分岐点であるハンブルグ。