真夏の夜のおとぎ話ーパン屋さんの夏の休暇

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アルトシュタット 旧市街にあるデュッセルドルフのパン屋さんの夏の休暇のお知らせ。
ドイツの黒パンで焼いた休暇のお知らせ看板。

2010年からの統計によるとドイツでは祭日を除いて1年に30日の休暇が法律で定められている。フットボールのみならず、休暇でもチャンピオンの地位を占めているという事。
ドイツ デンマークは1年に30日 フィンランド、フランスは25日 オランダは24,6日の法定休暇が定められている。
EU27国内ヨーロッパの平均は25.4日。
ドイツでは1週間37.7時間+1.5時間残業で平均すると1人1週間約40.5時間の労働。
以上の統計数だか、紙上のみの絵に描いた餅ではなく何の副作用もなく害もなく堪能できると言う点が本来なら当たり前の事が勿論当たり前の如く当たり前に実行されている。
決められた日数の休暇を取らない人は休暇を取るように督促がくる、それでも何らかの理由で取らない、取れない場合はその休暇の不足分、、、取らなかった休暇日数が日割り計算された金額と言う形に変化する。
休暇をまだ取っていないので取らなければ、、、と何か義務をはたさなければならないといった風に言うドイツ人に出会う事が時々ある。

ただ、ドイツ人全員が全てそうかというと、またこれも大きな誤解となる。
俗に言う立身出世の道を約束された階級に属する人々は日本人の如く働く。
社会構造がくっきりはっきり非情といってもよい程、手に取れる様にありありとしている。

以上ある 「休暇天国チャンピオンお伽噺」 でした

ドイツの街角で

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写真のような年配の夫婦が手に手を取って買い物、ショウウインドーの品定めをしている姿を街角で1組か2組必ず見かける。
和やかな雰囲気が伝わってきて、こちらまでほんのりと幸せな気分になる。
                                                                                    

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主に若いカップルから中年層を対象とした公の発表によれば、ドイツの結婚したカップルは3組の内の1組は離婚、1組は別居、残りの1組は(、、、まだ)夫婦として機能しているという。

Brandenburgtorブランデンブルグトーア、、、優勝チーム歓迎のるつぼ

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フットボール世界選手権優勝チームを迎え文字通り10万人の人々の歓声と歓喜の渦とうねり、波がドイツの首都ベルリンを襲った。
私も殆ど1年振りでテレビの前に座わり、その熱狂振りを観戦、、した。
選手の名前は殆ど知らず、誰が誰だか皆目見当がつかず、確かに頭に入っている名前と顔が一致する人物は(日本でいう)監督のレーヴェとゴールキーパーのクローゼのみ。
監督レーヴェの疲労した表情の中に抑えた喜びというより安堵と一抹の寂寥が漂っていた、、、熱狂の波の中で印象的だった。

写真はテレビの1場面から。
勿論この芸術的修正を施された私のテレビの画像を1年に1度程見ると色々と考えるが、兎に角1年に1度なので、その内に日常の他のテーマの後ろの後ろに追いやられて、こうして又の機会が訪れるまで忘れ去られ棚上げされているのデス、、、、、。

ブランデンブルグ門は1788年(フランス革命1789年、日本は江戸時代、寛政の改革1787年)に以前にあった門を今の形に改築した。
第2次大戦後この門を境界として1990年秋東西ドイツ統一までベルリン(ドイツ)は西と東に分かれていた。
ベルリンは東圏内にある西側の孤島だった. 東から西へ逃亡する東住民の悲劇は今は昔の物語となりつつある。
ブランデンブルグ門は東西統一後、ドイツの首都の象徴として再び生き返った。

Gott sei Dank, es ist endlich alles vorbei! 2014年フットボール世界選手権ドイツ優勝

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私は殆どスポーツには不思議な程、興味がない。全く興味がないと言ったら「真っ赤な嘘」になる。なぜなら、こういった国際間の選手権等は興味津々!といった人格に豹変する。
関心をひかれる事は、歴史文化の異なる人々がスポーツの勝敗に対してどんな反応をするかという事で、本来の主体のスポーツは背景に納まっている。
決勝戦数時間前スーパーの買い物客はどこか生き生き、ウキウキしていた。友人と自宅で合同観戦の約束をしているある夫婦の会話は「はしゃぎまくって」いた。
「私のところで一緒に今晩(ドイツは夜10時から試合が始った)決勝戦を見ましょうよ、豪勢な決勝戦パーティと行こうじじゃない、食事、つまみ、それに勿論アルコールは有り余る程充分用意したあるから派手に飲んで、食べてパーと祝いましょ」

昨夜は、私としては結構遅い時間11時頃ベットに入りウトウトしていると、歓声がドッと震動し伝ってきた。
それで、ドイツが優勝をしたのだと思ってどこかホッとしていると、近くから遠くから花火の景気の良い破裂音が重なり重なり響き、これでお終いかと思いきや、思い返したようにまたドドドドドーンと人々の歓声と共にこだましていた。

今朝一番のニュースは 「ケルン、デュッセルドルフ、、、、、、は街中盛り上がり、人々は明け方まで優勝の喜びを分かち合い飲んで明かしたが幸い事故はなかった」 という事だった。
今朝私は、優勝までの長い緊張と興奮の後はいかにと、大した買い物もなかったが、出かけた。
世界選手権試合スタートから徐々に期待、喜びが張りつめ優勝の今朝までのドンチャン騒ぎで頂点に達し、緊張がほぐれ、度重なる勝ち抜き祝いに疲れがドッとでたのか今朝は町中が疲れ果てた、、、という空気が漲っていた。

私のマンションの上に住んでいる知識層に属するリタイヤーした男性に会ったので、ドイツが優勝しましたね、と挨拶したところ、「やっと終わりましたヨ、これであの騒ぎともお別れという事で、ホッとしましたヨ、まったく、ヤレヤレ。Gott sei Dank, es ist endlich alles vorbei!」 という返事だった。
彼の表情は 「縁なき衆生は度し難し」 とでも言っているようだった。

写真は私のバルコニーから見えた感動の優勝花火。ドイツの花火は、音で勝負という予備知識があれば、この写真の素晴らしさが十二分に理解できる。

Darwin に乗ってロンドンへ

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飛行機はダーウィンと重々しい信頼と尊敬と敬いの念が湧いてくる名前だった。
まさか、アル カポネ とか ホメイニ 或いはスターリン、、、なんて名前はつけられないだろうが、だからといって、こう立派な名前を付けるのも尚更の事この小さな飛行機、、、といえるのか、、、がチッポケに見え殊更にその信頼性を失ってしまい、大丈夫カシラ、、、と搭乗する前から目的地に着くまで落ち着かなかった。
1時間30分の間、墜落しても誰もが納得しそうー、、、、そう考え始めると、モシ、そうなった場合、、、の新聞の記事の事までが頭の中を駆け巡り、、、例えば、~~~~~しかし、この墜落機はダーヴィンと命名されていた、あの人類の進化論を提唱したダーウィンと同名だったというが、その機が墜落した事は、その犠牲者にとり、これ以上彼等は発展する事を拒否された事でありどこか皮肉の様でもある~~~~~等ナドなどと、徒然草ではないが、つれづれなるまゝに、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく、、、、思い巡らし、あやしうこそ物狂ほしけれ、、、、、とアッと言う間にロンドンに到着、20余年振りのロンドンの土を晴れて踏む   2014年7月1日早朝6時50分。

因みに数日後の帰途は暗くなり始めていたが機体に大きく書かれてあった機名は読めた、、、が、何となく読む気がせず意識して注意を逸らした。

ロンドン市内からチョッと離れた可愛らしいホテル

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私の泊まったホテル。
このホテルの地域はデュッセルでいったらオーバーカッセルと私の住んでいるノルトシュトラーセを足して2で割ったような雰囲気を持った居心地の良いエリア。それは多分、人々が高ぶる事なく自然な事から醸しだされてくるのだろう。
デュッセルのオーバーカッセルの嫌な所は、、、トッテモ嫌なところと強調、、、意識しすぎ、高慢、高ぶり、ウスッペラ、奥行きがない、知性に欠けている、余裕がない、、ナド等ときりがない。
オーバーカッセルも鰻のように、一度そのアク取りをしたら、美味しいうな重のように良い所となるかも、、、と思うが、そうなるとドイツ的でなくなってこれも弊害アリ、、、、、。

ホテルのこの写真の前で紅茶を飲み、St. John´s wood の朝日の中のまだ始ったばかりの一日の寛いだ買い物街で朝食を取る、初々しく燦燦と輝く若い光の中で。

リヴァプールの駅

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草原の中に突然出現したステンフォード飛行場の無表情な、無個性で実用的そのもの、そういった意味で世界どこへ行っても目にする世界共通無表情な表情の空間からリヴァプールの前前世紀の感性の一こまを垣間見る駅に到着、ビートルズで有名になった名所。