見本市とホテルとイバラヒメ                                             「ポカン」と「怒り」が隔たる距離。

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3国のヨーロッパの旗がライン河港を鮮やかに彩って曇りがちな初秋の日曜日に華やかさを与えていた。
風にたなびいている色彩はどことなく明るい気分を振りまき、カルメンのアリアのようなその気侭な動きは日曜日の朝に一層開放感を与えていた。
スイスの船舶ホテルとその後ろは同資系の船なのかドイツ、フランスの旗が風にたわむれていた。

世界的に有名な大きな見本市が開催されると、こうして移動船舶ホテルが停泊する。
水上船舶ホテルを目にすると、見本市を訪れ、「不幸」にもライン河に浮かぶ船舶ホテルに宿泊しなければならなかったある日本人を思い出す。
「不幸」か「ロマンティック、粋」かは、個人的な好みの問題であり、その見解は「歴史的背景と習慣」が大いに影響しているように思える。
その不幸な日本人の苦情、不服、、というよりは怒りに近かったが、、、より正確に表現すれば、、怒りそのものだっが、、そこまで忌み嫌う心情がドイツ人には理解できなかったようだった、、、ポカン、、、としたという反応だった。

その日本人にとりラインは河ではなく川であり、川に浮かぶ舟は船ではなかったのであろう。
川に浮かぶ舟ではなく、大海を航海する船であったならば、怒りにはなりえなかったのだろう。
ヨーローっパの河の歴史は日本のそれより人間の生活により密着している。
大きな河は他国から流れこみ、そして隣国へ、もしかしたら敵国である隣国へ、そしてそのまた隣国へ、あるいは、遥かむこうに目を凝らせば左右どちらかの仇敵国の境界線として防壁のように人間の様々な思惑と悲喜こもごもを飲み込みヨーロッパを、うねり、くねり流れた、そして流れている。

子供の頃家の近くに川が流れていて、時々川原に遊びにいった。
小川ではなく結構リッパな川だった。 川幅は子供には広く見えたが水嵩は少なく川原の幅に対して流れが占めている面積は1/5くらいだった。正に川原だった。
小学校3年生くらいの私には歩いて渡れる浅さだったがそれに反比例するように流れは激しかった。一度向こう岸まで裸足で川を渡ったが、二度とその冒険はしなかった。ツルツルとした足元を必死に確保している私の心臓の鼓動がはち切れんばかりに体を駆け巡った。その時の恐怖感はしっかりと私の中に生きている。
私のこの経験が全ての日本の川に当てはまることはないと勿論思うが、どこかにヨーロッパの河と日本の川の違いが現れているように感じる。

なにはともあれ、こうして「ポカン」と「怒り」の相違は、深いそして同時に些細なことから誤解が誤解を生み、世界の平和への道は茨の花が咲き乱れてイルノデショウカ、、、と大袈裟に思えない事もないが、そして実際不和は些細な卑近な出来事から往々にして生まれる、、、そういう風に否定的な見方をすれば、私などは毎日見渡す限りイバラの花が咲き乱れている草原の真っ只中で健気に生きている、、マサニイバラヒメ、、ではないか、、、。

日本人の私は「カワ」 「フネ」 という音を聞くと、とっさには「川と舟」が目の前に開け、やかた舟を思い出す。
「河、船」は義務教育の教えが私の脳の片隅で居心地悪そうな音と共に、6角形をした、、、確か6角形だった、、、祭りのくじ引きの箱から出てくるようにやっと顔を出す。

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