玉虫色のサンドイッチ

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祭日が木曜日の場合は週末と祭日に挟まれた金曜日は、ハム、チーズ或いはお好みで卵、たらこまたは豪華に海老フライ、キャビア、、、などの様にパンとパンの間でサンドイッチの味を決定する大切な役割を受け持っている、、、ドイツでは木曜日から日曜日の4日間の休日となる。
、、、これを私は「サンドイッチ休暇」といっている。
今そのサンドイッチ休暇の真っ只中、昨日10月3日木曜日から、夏休み以来の短い休暇を初秋のひんやりとした空気の中で23年前のドイツでの大きな歴史的な出来事を思いおこしている。

23年前、1990年10月3日に第二次大戦後東西に分かれていたドイツが統一した。
その日、テレビの前で実況放送を何度も見た。
当時は今から考えるとなんと単純な考えだったのだろうと信じえないが、多くの人々が、西ドイツでは主に50台に近い中年以上のドイツ人が、陶酔した、そして陶酔し、陶酔した、東のドイツ人たちの喜びは狂喜といったほうが正しいほどだった、皆幸せに浸った、そして光り輝く希望に満ちた未来のみを夢見た、東ドイツ人も西ドイツ人も。
夢を見ているようだ、と言うように現実ばなれした現象を例えるが、その陶酔、狂喜は無責任で予想のつかない夢であった事に、つまり現実離れした夢であった事に突き当たった。
不誠実な夢から覚め冷たい現実に直面し、とんでもない同床異夢であった事に愕然とした。

東ドイツ人は今まで憧れ決して現実にはならないと、東ドイツ人だけではないと思うが、まるで生命の掟、生と死はメダルの両面であるという、のように変えられるものではないと信じなければならない事実に奇跡が起きた、ふとした神様の気まぐれのように一変した。
東ドイツの人達は憧れていた未来永劫手に取る事のできないであろう素晴らしい生活が、即お伽噺の様に飛び込んでくるものとはち切れんばかりに期待した、そして現実は厳しく、民主主義、資本主義の厳しさと醜さに直撃された人々には底なしの落胆と永遠と続く不平、不満ばかりが残った、、、オスタルジーという造語が出来た(オスト+ノスタルジー、東の時代は良かった)
また西ドイツ人は、東への育成、助成金は、底なしのツボに金を投げ込んでいるようなものだ、と耳にたこができるほどよく聞かされた、、、、、統一税というものが導入され、数年という事だったが今尚国民は延々と払い続けている、当然の理で西側は西側での人々の不満がつのった、そして統一税は払い続けられ今年で23年経過した。
最近の世論調査によると統一により個人的に利を得たかの質問に東は42%,西は37%
統一後、東の人達の生活が向上したかの質問に対して、西では52%がそうだと答えているのに対し東は75%がいいえという答えを出している。
また真の統一が行き渡るにはドイツ人全体でこれから50年後という答えがでている。

数年前、ウイークディが祭日に当たるとドイツ経済に与える影響が大きくなるという理由から、前首相がこの歴史的な祭日を3日とせず10月の第一日曜日に改めるという提案をしたが即刻猛反対に遭いあっけなくその話は消え去った。
東西統一という出来事は西も東も区別ないドイツ人にとって冒しがたい尊い願いである事が、普通議論を好み充分に論戦を繰り広げるドイツ人にしてはその決定の速さ、その反論の激しさ、猛反対即刻却下の中に切々と感じられた。
また印象深かった事は、このドイツにとって歴史上の一つの大きな出来事にたいして西ドイツ人の40台以下の戦争とその後の東西の暗い物語を経験していない層は最初からクールに対処したことだった。

統一の日23年前、家族、友人と一緒に訳も分からずテレビ実況を見ていた末の息子も
今年で26歳になり、卒業作品と論文を書き大学も無事卒業し今昔の感であるが、ドイツ統一は無事卒業できるのは何時になるのだろうと思う。
人間の感情の行き違いほど複雑なのもはないという結果は歴史の中で繰り返されているが、私はドイツの歴史、ましてや東西分裂の歴史とは直接繋がりはないが、身近にひたひたと身をもって体験した。
複雑な玉虫色の、特製サンドイッチの味は深みがあった。

写真はソーラーエネルギーで動くプラスティックの花。
太陽エネルギーを発見しそして動力に使うという思いつきに人類の知恵と発展への絶え間ない渇望を感じそこはかとなく胸が熱くなる。

*注*
ドイツでは大学卒業年齢は日本の様に決まっていず、26才が平均で、30歳近くで卒業する大学生も珍しくありま せん。

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