おとなの秋休み 中世ハンザ同盟都市

画像

image
10月最後の金曜日は 「おとなの秋休み 中世ハンザ同盟都市 ゾースト」 へ ドイチェ バーン グループ券、特別タイムマシーン に乗り中世ハンザ同盟都市 ゾースト」 中世へ旅立った。

写真は、異国情緒を誘う市庁舎、アーチの回廊を飾るゾースト市のワッペン。 
アーチを取り入れた建造物はドイツでは余り度々目にしない。
イタリーでは真夏日の影のない街にくっきりと対照的な斬新な明暗を与え、かんかん照りの昼のオアシスを提供しているアーチは、暗いドイツの天候にはかえって鬱陶しく太陽に憧れている人達にとては現実的かつ合理的ではなかったのだろう。
ゾーストは中世11世紀、12世紀から急激に栄え、アラビア人をはじめ当時のヨーロッパの人々が行き交った。
多分そういった事からドイツでは珍しいこのアーチを取り入れた建造物がこの街でよく
見かけられるのかも知れない。

玉座の聖母マリア

画像

image
中世の街ゾーストの誇り13世紀に描かれた珠玉のフレスコ画、玉座の聖マリア。
まるでチャペルのように小さな教会の中に足を踏み入れると別世界が開けていた。
聖母マリアが私たち異教徒を暖かく迎えた。
教会には人々の変わらぬ素朴な願いが漂っていた。
中世の人々は天国の存在を信じていた、、、とどこかで読んだ文章が霧のように立ちのぼり、人々の真摯な願いが、ある癒される何かが私たちを包んだ。

教会という建物が変化していった初期過度期の型が見られるそういった意味からも
重要で、今日の姿の教会らしくない珍しい教会建築ということでも大きな意味を持っているという事だ。

、、、、、子供が偉くなると、母親は玉座に奉つられる、、、、、これは東西似たような現象のようだが、仏様の母親は舞台に登場しないのたいしてマリア様は、、、生物学的見地から観察すれば未婚の母であり、現代の様に当たり前のことではありえなかったので、聖告というあり難いお告げ、、、宗教的敬虔な深い考えから出たのだろう、かしこみかしこみ聖母となり、、、或いは複雑な前後関係からなのか、、、王冠を頂き玉座についている、、、これはある無宗教に近い一応仏教徒であり同時に神道のお祓いを受け、「やおろずの神」を受け入れる異教徒の勝手な他愛無いまた無責任なおしゃべり、言ってみれば井戸端会議のようなものと理解し、、、そういう事でご了承を願いたい、、、、、、、。
でわあるが、現代の未婚の母にとり鑑となる大先輩でもあるのではないだろうか、、、先見の明ありなどと言っては、畏れ多いのかもしれないが、、、、、。

ステンドグラスと演出

画像

image
ゴシック教会の美しさと演出。
天国を信じていた中世の人々にとって、教会はそのパンフレットの役割を果たしていたのだろう。
上に上へと舞い上がり立ちのぼるステンドクラスの色彩と構成は、正に見ている者にまるで羽衣を纏って天国へ飛び立つような錯覚を与える、、、、、。
かと思うと、イヤに現実的なステンドグラスも登場する。
現世的といってこれ以上の言葉を知らないビール、焼酎、生ハム、黒パン、豚頭料理、、、食欲そのものと喜びが飾ることなく、そして陽気に思うがまま溢れる程に表現された「故郷ヴェストファーレンの最後の晩餐」 キリストと12人の使徒が現世的な喜び食欲を堪能している。
私達はどういう訳か深く安堵し、現実次元に舞い戻った。

見本市とホテルとイバラヒメ                                             「ポカン」と「怒り」が隔たる距離。

画像

image
3国のヨーロッパの旗がライン河港を鮮やかに彩って曇りがちな初秋の日曜日に華やかさを与えていた。
風にたなびいている色彩はどことなく明るい気分を振りまき、カルメンのアリアのようなその気侭な動きは日曜日の朝に一層開放感を与えていた。
スイスの船舶ホテルとその後ろは同資系の船なのかドイツ、フランスの旗が風にたわむれていた。

世界的に有名な大きな見本市が開催されると、こうして移動船舶ホテルが停泊する。
水上船舶ホテルを目にすると、見本市を訪れ、「不幸」にもライン河に浮かぶ船舶ホテルに宿泊しなければならなかったある日本人を思い出す。
「不幸」か「ロマンティック、粋」かは、個人的な好みの問題であり、その見解は「歴史的背景と習慣」が大いに影響しているように思える。
その不幸な日本人の苦情、不服、、というよりは怒りに近かったが、、、より正確に表現すれば、、怒りそのものだっが、、そこまで忌み嫌う心情がドイツ人には理解できなかったようだった、、、ポカン、、、としたという反応だった。

その日本人にとりラインは河ではなく川であり、川に浮かぶ舟は船ではなかったのであろう。
川に浮かぶ舟ではなく、大海を航海する船であったならば、怒りにはなりえなかったのだろう。
ヨーローっパの河の歴史は日本のそれより人間の生活により密着している。
大きな河は他国から流れこみ、そして隣国へ、もしかしたら敵国である隣国へ、そしてそのまた隣国へ、あるいは、遥かむこうに目を凝らせば左右どちらかの仇敵国の境界線として防壁のように人間の様々な思惑と悲喜こもごもを飲み込みヨーロッパを、うねり、くねり流れた、そして流れている。

子供の頃家の近くに川が流れていて、時々川原に遊びにいった。
小川ではなく結構リッパな川だった。 川幅は子供には広く見えたが水嵩は少なく川原の幅に対して流れが占めている面積は1/5くらいだった。正に川原だった。
小学校3年生くらいの私には歩いて渡れる浅さだったがそれに反比例するように流れは激しかった。一度向こう岸まで裸足で川を渡ったが、二度とその冒険はしなかった。ツルツルとした足元を必死に確保している私の心臓の鼓動がはち切れんばかりに体を駆け巡った。その時の恐怖感はしっかりと私の中に生きている。
私のこの経験が全ての日本の川に当てはまることはないと勿論思うが、どこかにヨーロッパの河と日本の川の違いが現れているように感じる。

なにはともあれ、こうして「ポカン」と「怒り」の相違は、深いそして同時に些細なことから誤解が誤解を生み、世界の平和への道は茨の花が咲き乱れてイルノデショウカ、、、と大袈裟に思えない事もないが、そして実際不和は些細な卑近な出来事から往々にして生まれる、、、そういう風に否定的な見方をすれば、私などは毎日見渡す限りイバラの花が咲き乱れている草原の真っ只中で健気に生きている、、マサニイバラヒメ、、ではないか、、、。

日本人の私は「カワ」 「フネ」 という音を聞くと、とっさには「川と舟」が目の前に開け、やかた舟を思い出す。
「河、船」は義務教育の教えが私の脳の片隅で居心地悪そうな音と共に、6角形をした、、、確か6角形だった、、、祭りのくじ引きの箱から出てくるようにやっと顔を出す。

秋とハロウィーンと宗教

image

そこはかとなく空気の中に夏の終焉が漂う頃になると、日本の秋をそぞろに思い出す。
運動会、お月見そしてお団子、秋祭りと出店、遠足とおにぎり。
ドイツでは秋を彷彿とさせるもののなかで一番印象深いものは収穫感謝際そしてハロウィーン。
ハロウィーンはドイツでは、深い歴史に根ざしている収穫感謝祭とは違い、つい最近アメリカから伝染病のようにアッと言う間に広まった浅く軽薄さが目立つ、と言うよりは軽薄そのものの秋の街角の現象。
表面的で張りぼての軽さが目立った、商魂で衣揚げしたようにギトギト、ギラギラしたハロウィーンーの安物の揚げ物が街を占領している。
ハロウィーンは元々土着のお祭りとして行われていたがキリスト教がヨーロッパを制覇する初期に混じりあい模様編みのように編みこまれていったようだが、ドイツではどういうわけか定着しなかった。
日本の土着の祭りも仏教、神道と融合して今日の形になったのだろう。

秋の到来を至るところにひしひしと感じさせる時期になると、しきりに日本の紅葉が懐かしくなりその代わりというには余りにも似ても似つかぬといった風情だが、兎に角秋という季語が同じという事で妥協策が登場、ハロウィーンのこのかぼちゃの表情の魅力に惹かれローソク立てをベランダと部屋に出す。

日本のひょっとこ、おか目の面とドイツのこのかぼちゃの表情は東西の文化の特徴をよく捉えていてその異質さに魅かれる、東西両陣営、ヒョウキンでお茶目な表情が軽妙で嬉しくなる。
日本のお祭りには必ずお団子、お饅頭、ナントカ餅,ナンタラ最中、カンタラ黄粉餅、、、が付き物だが、サテ、ドイツではと思ったが見当たらない。
日本はお祭りに限らず全ての行事に食べ物は切っても切れない相関関係がある、大切な主役としてゆるきない地位を占めている、、花より団子、、、。
渋く最後をしめて、

秋きぬと目にはさやかに見えねども  風の音にぞ驚かれぬる。 
古今集  藤原敏行

玉虫色のサンドイッチ

画像

image
祭日が木曜日の場合は週末と祭日に挟まれた金曜日は、ハム、チーズ或いはお好みで卵、たらこまたは豪華に海老フライ、キャビア、、、などの様にパンとパンの間でサンドイッチの味を決定する大切な役割を受け持っている、、、ドイツでは木曜日から日曜日の4日間の休日となる。
、、、これを私は「サンドイッチ休暇」といっている。
今そのサンドイッチ休暇の真っ只中、昨日10月3日木曜日から、夏休み以来の短い休暇を初秋のひんやりとした空気の中で23年前のドイツでの大きな歴史的な出来事を思いおこしている。

23年前、1990年10月3日に第二次大戦後東西に分かれていたドイツが統一した。
その日、テレビの前で実況放送を何度も見た。
当時は今から考えるとなんと単純な考えだったのだろうと信じえないが、多くの人々が、西ドイツでは主に50台に近い中年以上のドイツ人が、陶酔した、そして陶酔し、陶酔した、東のドイツ人たちの喜びは狂喜といったほうが正しいほどだった、皆幸せに浸った、そして光り輝く希望に満ちた未来のみを夢見た、東ドイツ人も西ドイツ人も。
夢を見ているようだ、と言うように現実ばなれした現象を例えるが、その陶酔、狂喜は無責任で予想のつかない夢であった事に、つまり現実離れした夢であった事に突き当たった。
不誠実な夢から覚め冷たい現実に直面し、とんでもない同床異夢であった事に愕然とした。

東ドイツ人は今まで憧れ決して現実にはならないと、東ドイツ人だけではないと思うが、まるで生命の掟、生と死はメダルの両面であるという、のように変えられるものではないと信じなければならない事実に奇跡が起きた、ふとした神様の気まぐれのように一変した。
東ドイツの人達は憧れていた未来永劫手に取る事のできないであろう素晴らしい生活が、即お伽噺の様に飛び込んでくるものとはち切れんばかりに期待した、そして現実は厳しく、民主主義、資本主義の厳しさと醜さに直撃された人々には底なしの落胆と永遠と続く不平、不満ばかりが残った、、、オスタルジーという造語が出来た(オスト+ノスタルジー、東の時代は良かった)
また西ドイツ人は、東への育成、助成金は、底なしのツボに金を投げ込んでいるようなものだ、と耳にたこができるほどよく聞かされた、、、、、統一税というものが導入され、数年という事だったが今尚国民は延々と払い続けている、当然の理で西側は西側での人々の不満がつのった、そして統一税は払い続けられ今年で23年経過した。
最近の世論調査によると統一により個人的に利を得たかの質問に東は42%,西は37%
統一後、東の人達の生活が向上したかの質問に対して、西では52%がそうだと答えているのに対し東は75%がいいえという答えを出している。
また真の統一が行き渡るにはドイツ人全体でこれから50年後という答えがでている。

数年前、ウイークディが祭日に当たるとドイツ経済に与える影響が大きくなるという理由から、前首相がこの歴史的な祭日を3日とせず10月の第一日曜日に改めるという提案をしたが即刻猛反対に遭いあっけなくその話は消え去った。
東西統一という出来事は西も東も区別ないドイツ人にとって冒しがたい尊い願いである事が、普通議論を好み充分に論戦を繰り広げるドイツ人にしてはその決定の速さ、その反論の激しさ、猛反対即刻却下の中に切々と感じられた。
また印象深かった事は、このドイツにとって歴史上の一つの大きな出来事にたいして西ドイツ人の40台以下の戦争とその後の東西の暗い物語を経験していない層は最初からクールに対処したことだった。

統一の日23年前、家族、友人と一緒に訳も分からずテレビ実況を見ていた末の息子も
今年で26歳になり、卒業作品と論文を書き大学も無事卒業し今昔の感であるが、ドイツ統一は無事卒業できるのは何時になるのだろうと思う。
人間の感情の行き違いほど複雑なのもはないという結果は歴史の中で繰り返されているが、私はドイツの歴史、ましてや東西分裂の歴史とは直接繋がりはないが、身近にひたひたと身をもって体験した。
複雑な玉虫色の、特製サンドイッチの味は深みがあった。

写真はソーラーエネルギーで動くプラスティックの花。
太陽エネルギーを発見しそして動力に使うという思いつきに人類の知恵と発展への絶え間ない渇望を感じそこはかとなく胸が熱くなる。

*注*
ドイツでは大学卒業年齢は日本の様に決まっていず、26才が平均で、30歳近くで卒業する大学生も珍しくありま せん。

牛フィレと選び抜かれたバルサミコ、オリーヴオイル

10月 牛フィレ と 選び抜かれたバルサミコとオリーヴオイル    
9日木1席、10日満席 17日木若干空席あります   35€
9月同様にバルサミコ、オリーヴオイル3-4種類の比較をしながら、、、

*牛肉の旨みをModena バルサミコの甘みで一層引き立てる Modenaバルサミコの味を生かした牛フィレ料理は有名です。
*付け合せのパスタはバルサミコの味を生かして。 *サラダはサッパリとバルサミコドレッシングで仕上げます。

時間    9:30-12:00~12:30   料理が出来上がるおよその時間です。
*素材が手に入らない場合はレシピの変更があります。
* 材料は殆 どの場合数日前に用意し7-8名という想定で日本では手に入り難い素材を紹 介、特に アルディその他のスーパー 肉類は昨今、問題が頻繁に出ているため信用のおける店のみで求め安全性と品 質を考慮し参加費を組んでい るの で、キャン セルは1週間前5€、3日 前10€とします。

おとなの秋休み中世の街へ

ゾーストは中世にハンザ同盟都市、ハンブルグ、ブレーメン又有名なロマンティクシュトラー セのロー テンブルグ等と共に中世に栄えた街です。
足の向くいたる所、木組みの家が保存されている思いがけない驚きを経験する博物館のような街です。
1600年代から連綿と伝統を保つ現在只一つ残っている醸造居酒屋さんでもちろん4百有余の伝統を保つビールと同様に一日の終わりに 当時の人々が生活の様々な思いと共に座り飲 みそ して空腹を みたした当時そ のままの木組み作りの居酒屋で、、中世の散策の乾きを癒すことも格別な思い出になることと思います。

おとなの秋休み  中世のハンザ同盟都市 ゾー スト 参加費 21 EURO
5 人までの グループ券 39,50 EURO
10月 25日 金曜日